連載•小説 家康とは邸宅の建築を通じて知り合った秀長の広い交友関係
家康とは邸宅の建築を通じて知り合った秀長の広い交友関係
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2026/01/22

これだけの能力と実績を見せつけながら朴訥で温厚、無口であったという秀長。承認欲求を極限まで膨らませたような兄・秀吉とはまったく違った飾らなさで、逆に人望を集めたと思われる。

 

そんな秀長と親しく交流していた歴史上の人物は少なくない。詳細は後から詳しく述べるが、秀吉の軍師・黒田官兵衛は、戦場では秀長とともに敵の攻略・調略を担ってきた。ある意味、竹中半兵衛亡き後の秀吉軍団の知性を担った2人である。

 

秀吉が官兵衛に宛てた手紙の中で「オレはお前を秀長同然だと思っている」という記述が見え、かつ黒田家に遺された文書の秀長評からは、官兵衛が秀長本人に対し多大な敬意が払っていたことが伺われる。

 

実の妹の旭が嫁いだ徳川家康は、信長の死後に秀吉陣営と長らく対立していた家康がようやく恭順の意を表してから、秀吉が京に築いた聚楽第の敷地内に邸宅を建てたのだが、その工事の責任者が秀長の腹心・藤堂高虎だった。その件で家康が秀長に出した礼状が今も残っている。

 

家康は秀吉の執奏により、朝廷から秀長と同等の権大納言の官位を得ている。秀吉を支える2人の弟分というわけである。(つづく)

 

西川修一

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