「以正合、以奇勝」……ついに稲葉山城を攻略した信長
連載•小説
2026/03/16
孫子の兵法の「以正合、以奇勝(正を以て合し奇を以て勝つ)」よろしく、稲葉山城攻めの正攻法と調略という奇策を掛け合わせ、信長の美濃攻めは永禄10(1567)年に最終段階に入る。
稲葉山城の攻略に当たって、その周囲の地形と龍興軍の守備の概要を細かくチェックしたのも藤吉郎だったという。
すでに述べたように搦め手、つまり裏側が断崖絶壁という天然の要害・稲葉山城。藤吉郎はまさにその断崖絶壁をキーポイントと睨んだ。油断した龍興軍の警備が手薄であることが分かったのである。
藤吉郎は、墨俣攻略ですっかり意気投合した蜂須賀小六を始め7人の部下とともに、その断崖絶壁から潜入する算段を立てる。
城の正面には、藤吉郎が小一郎に任せた手勢約600人。そして離反した西美濃三人衆を入れて約15000とも20000とも言われた信長軍本隊が待ち構える。
まず、藤吉郎たちが搦め手を這い登って城中に潜入。そこから逆さの瓢箪をくくりつけた竹竿を高く掲げ、それを合図に城外の小一郎の部隊が堀に飛び込み、水門から城中に入り込むと、城中を攪乱した揚げ句に正面の大手門を開いて信長軍本隊を招き入れた。一気になだれ込んだ信長軍は城を制圧。脱出した龍興は伊勢方面へ逃げたという。
今回の活躍で旗印を許された藤吉郎は、そのデザインに逆さの瓢箪をそのまま使っている。
信長はここを岐阜城と改名し、新たな拠点とした。目指すは京の都である。(つづく)(西川修一)
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