2025/07/03
佐野家は三河以来の譜代の旗本で、代々江戸城の警固や将軍の警固に当たる番士を務めていた
。禄が少なくくすぶっていた佐野政言へ意次の側近・井上伊織が「意次はあなたの祖父様とは
親しかった。佐野家の家系図を見たい」と何度か言ってきたので持参したが、それが何日経っ
ても一向に返却されなかった――これが直接の動機とされている。
大河『べらぼう』の劇中では、その家系図を意次がかたわらの池に投げ捨てるシーンがあった
が、当時の家系図は今とは比べ物にならぬほど重要であり、家の誇りにも関わることだった。
しかし、よりによって江戸城内、殿中において切腹覚悟で凶行に及ぶ動機としては、いささか
釣り合わない。実は過去をさかのぼると田沼家は佐野家の家来筋であり、立場が逆転した当時の
状況を面白く思っていなかった――という説もあるが、確たる証拠はない。
しかも、暗殺直後に政言が差し出した「言上書」は焼き捨てられているのに、政言が書いたとさ
れる18項目もの「田沼の悪事」が世に喧伝された。中身は「私欲を欲しいままにした」「えこ
ひいきで役人を出世させた」などなど誰でも書けるような代物である。
そもそも、ターゲットがなぜ意次ではなく意知なのか。何度も狙ったが実行場所がうまく選べ
ず、そうこうするうちにこの日を迎えたという政言は、息子の方を選んだ理由として「武士の
遺恨は格別だから」としか言葉を残していない。
このとき、江戸市中でよまれた落首に面白いものがある。
「鉢植えて/梅が桜と咲く花を/たれたきつけて/佐野に斬らせた」――そこにどんな意味が込め
られているのか。(つづく)
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