国境の守りと空白の地:外国人による土地取得と離島国有化の急務
2026/03/31
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家無き男 高田馬場編 あの男も高田馬場は長いなあ 鉄腕アトムの壁にもたれて 朝は壁、昼はガードに陽を追って。眠りこけてる? 哲学してる? おお髪を切ったなあいつ、おっ髭は剃らずにそのまま おしゃれでしたか 東京は午後から雪の予報だぞ それを知るすべ持っているのか あの男こちらの顔を覚えたかチラ見してるとよく目が合った 貴種流離の果てかと思い巡らせば たちまち砕けるそのだみ声だ 高田馬場には常連のホームレスがいた。たまに二人になることもあったが、シマの掟があるのか、すぐ、その男一人になる。日の当たる場所を選んで、壁やガードレールに日がな一日、持たれている。本でも読まないで退屈じゃないのかと思うが、見たことはない。 歩くときは、右手に潰れた空き缶が詰め込まれたビニール袋。左手には、煮しめたような真っ黒な毛布を、いつも抱えていた。 それが、ここ1年程前、ぷっつりと姿が見えなくなった。河岸を買えたのか、行政の追い立てを食らったのか、あるいは・・・
2025.09.01
2025.09.01
野球同好会に顔を出すのは徐々に試合のある日だけになっていった。試合にも強く、後 輩にも強い3回生の先輩たちが就職活動で忙しくなりチーム内に気の緩みが蔓延していた からだ。2回生の先輩たちは後輩に強く指導できるような人はいない。高野さんを筆頭に へたくそ過ぎて1回生にもへなちょこ扱いされる始末だった。唯一、藤井さんは主将でピ ッチャーを務める中心的な役割をこなしていたが、その他の先輩たちは案山子以下の存在 と言っても言い過ぎとは思わないレベルであった。うるさい先輩がいなくなると容易に箍 が外れる俺だから興味は野球ではなく音楽や酒や女性に流されるようになっていた。 当時、西宮から引っ越して神戸市の灘区の六甲に住んでいた。阪急六甲駅から徒歩で5 分ぐらい南に下った宮前商店街の入り口にある雑居ビルの中にある〝春待ち疲れバンド″と いう店に通うようになった。店の名前にはバンドとあるが実際には小さなバーである。そ こで10歳以上年上の藤原さんと懇意となった。藤原さんはそのバーで、アコースティック ギターで弾き語るスタイルのライブを毎週のように行っていた。藤原さんは内装の職人ら しいのだが仕事よりもパチンコの方が忙しそうだった。パチンコの次は音楽である。奥さ んもいるのだが、パチンコや音楽、酒よりもプライオリティーが下だったようだ。 藤原さんとは60年代後半から70年代前半のフォークブームの頃の歌手が好きだという俺 との共通点があった。藤原さんは大のNSPファンだったが、俺はNSPのことは良く知 らない。俺が好きなのは加川良や泉谷しげるや佐渡山豊や高田渡だった。俺は中高生の頃 に長渕剛が好きだったのだが、その長渕剛が加川良や泉谷しげるのファンだったと知って 俺も聞くようになったのだ。俺と藤原さんはフォークという括りでは音楽性は一致してい る。そして、アコギでの弾き語りを志向するのも同じだ。いつしか、俺と藤原さんは〝大 阪ロマンボーイズ″というコンビを組んでいた。神戸に住みながら大阪ロマンボーイズはお かしいと藤原さんに抗議したのだが、藤原さんが大阪住まいだったことから藤原さんは頑 として譲らなかった。 「藤原さん、大阪ロマンボーズっておかしいですよ、俺は神戸に住んでいるんだし」 「何がおかしいんや、神戸は大阪に含まれているんやぞ」 「んなあほな、神戸は兵庫県ですよ、俺は大阪に住んだことはないですし」 「じゃあ、解散するか?」 「解散って、まだ一度もステージに立ってないし、一曲も作ってませんよ」 「そっか、じゃあ、一曲作って一回ステージに立ってから解散しようぜ」 「えらく短命ですね」 「解散したら阪神ロマンボーイズを組めば良いんだよ」 「なるほど、そういうことですか」 そんなわけはない。だったら最初から阪神ロマンボーズでいいじゃないか。まったく理解 も同意も出来ないが藤原さんが年長者だという理由だけでその提案を承諾しておいた。 この大阪ロマンボーイズは大した活動をしていなかったのだが、某楽器メーカーが主催 する音楽コンテストに参加した。理由は簡単である。コンテストに出場する予定者はその 楽器メーカーが運営するスタジオの利用料が無料になるというので出場予定だと嘯いて無 料でスタジオを利用した。スタジオ利用時にはスタジオを利用して収録したデモテープを 提出しないといけないルールになっている。しようがないから「ブギウギトゥナイト」と いう世にも恥ずかしい曲を適当に収録して提出して帰った。歌詞にイエイエイとかウォウ ウォウを多用した情けない曲だ。曲先で作曲し鼻歌の延長上で作詞したのだからいい加減 この上ない。後にこの曲によって更に恥ずかしい思いをさせられることとなる。(続く、 坂本雅彦)
2025.08.31
2025.08.31
2025.08.30
8月のお盆を過ぎると今年の夏もラストスパート。残された夏休み期間に夏祭りや花火 大会がラッシュを迎える。私はアラフィフ男性。夏の終わりは切ない印象を抱く人も多い と思うが私は比較的好きな時期。「うつむいたひまわり」「残暑に忍ぶ秋風」「足早な夕 暮れ」など季節の節目としてはエモく表現されることが多い。望む望まぬを問わず夏の終 わりは必ず来る。来年になればまた夏はやってくるのだが、今年の夏とはもう会えない。 切ないようで美しい。終わりがあるから美しいのである。 さて、夏になるとよく聞く曲、この曲が流れてくると夏だなと思う曲があなたにもある だろう。例えば「夏祭り」。以下に代表的なもの挙げる。 「あー夏休み」TUBE Hold Me Tight だって恋みたい 指が切ない 砂の数ほど 愛したいけど It‘sall night 泣いたっていいんじゃない 粋な別れに あー夏休み チョイト 終わらないで もっとまだまだBaby どうやら夏の終わりと失恋がテーマとなっている。夏の終わりと共に恋の終わりを迎える 名残惜しさを歌った名曲。別れた彼女の幸せを短冊に願うあたり、未練の大きさが半端な い。 「夏祭り」Whiteberry 君がいた夏は遠い夢の中 空に消えて行った 打ち上げ花火 この曲は片想いの曲。打ち明けられなかった恋心を打ち上げ花火の残像に例えている。過 去の切ない出来事を振り返る曲。この曲はWhiteberryによるカバーであるが、オリジナル のジッタリンジンの好きだ。ジッタリンジンのバージョンは2ビートの軽快がある。この 曲はヤクルトスワローズのチャンステーマにもなっていて神宮の夏のライトスタンドには 欠かせない。もちろん打ち上げ花火はホームランのこと。 「少年時代」井上陽水 夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれにさまよう 青空に残された 私の心は夏模様 タイトルからわかるように少年の時に抱いた夏祭りが寄せた胸のたかなりを夏模様と表現 している。自分ではなく誰かが憧れた道を歩む自分を「彷徨う」と表現し、少年時代に持 っていた自分の生き方を美しく儚い花火に置き換えている。思い通りの人生を歩んでいる 人はそう多くないだろう。希望を抱いていた少年時代の前後は夢である。確かにその通り であろう。少年時代のワクワクした将来に思いを馳せていることが陽水にとっての夏模様 なのである。 「夏まつり」長渕剛 いつまでこうして君と 寄り添い方を並べて 来年の夏も 線香花火できるといいのにね 燃えて散るのが恋ならば そのまま消えずにかがやいてくれ 私が中学生くらいの頃、勝手もらったばかりのギターで必死に練習した曲。初めて弾いた スリーフィンガーの楽曲でイントロが繊細で抒情的だった。花火大会ではない、夏まつり でのひと時と線香花火をする二人。線香花火をきれいだと言いつつ、彼女に自分の気持ち を伝えているあたりが小説的。彼女との関係に抱く不安とずっと一緒にいたいという願望 を現わした曲。不安だらけの思春期の男性の弱さを感じる。二人で、浴衣で、夏まつりに 行って、わたあめ、おみくじ、金魚すくいに線香花火をしているのだから、私からすれば 羨ましい限りだ。 以上、夏や夏祭りに関する曲は桜ソングに負けないほどある。往々にして何故か失恋ソン グが多い。
2025.08.29
2025.08.29
松平定信は老中就任後、孝行息子や節操・貞操を固く守る女性を顕彰し、かつそうした孝行・ 節義・忠節の持ち主を全国調査し、その事例を集めた『孝義録』という記録集の編さんを始め ている。最終的に全50巻に及んだ同書は、10年後の1801(享和元)年に刊行された。 そんな世相の中、蔦重という大物版元と山東京伝という人気作家に課された重いペナルティ。 あからさまな見せしめに、地本の版元に自粛ムードが漂ったことは想像に難くない。 しかし、幕府が主導した風紀の粛清と文武両道の奨励は、実はまったく別の出版物のニーズを喚 起したのだ。もちろん商売人・蔦重はすかさずそこに食い込んだ。 蔦重が手掛けた書物で、幕府の尚武の奨励にフィットしたのは武者絵本だった。日本や中国の 古今の英雄・武将の一代記や、合戦での奮戦ぶりを絵入りで語ったもので、これは年齢・性別 を問わず、江戸初期から幕末までニーズの途切れなかった息の長い出版物である。ヒーローもの はやはり時代を問わない。 蔦重は処罰を受ける前、すでに1786(天明6)年、武者絵本に狂歌を組み合わせた『絵本八十宇 治川』、翌1787(天明7)年には美麗な彩色摺りの『絵本武者絵』をリリースしていた。絵を描 いたのは長年のブレーン・北尾重政だった。(つづく)
2025.08.28
2025.08.28






