連載•小説 父・信虎に倣って朝廷をバックアップした信長
父・信虎に倣って朝廷をバックアップした信長
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2026/03/26

 義昭を第15代将軍のポジションに就けてその後見人となった信長は、正親町天皇の綸旨を受け、誠仁親王の元服費用や御所の修理費用を供出。美濃・尾張内の御料所(禁裏領)の回復も支援し、朝廷の経済基盤を強化した。天正3年(1575年)には、公家・門跡向けの徳政令を発布し、借金帳消しや新地給与を実施している。

 

こうした朝廷へのバックアップは父・信秀を倣ったものだ。信秀は天文12年(1543年)、禁裏(御所)の修理費用として10万疋(1万貫、または一部記録で4000貫)を献上している。これはその2年前の嵐による被害修復が目的で、地方のいち武将としては異例である。

 

父子ともに​皇室への敬意を抱いていたのか、政治的な打算だったのかは不明だが、後々江戸期には不人気だった信長に光が当たるようになったきっかけは、すでに述べたように天皇家を頂点とする中央集権国家を目指した明治政府がこの件をクローズアップしたことだった。

 

もっとも、足利将軍家についてはそうではなかった。二条城を修築し、室町幕府の形式を復活させた信長は、管領職などの要職を固辞し、代わりに自身の家臣を要所に配置してがっちりと実権を握る。朝廷や公家との折衝も信長が主導し、義昭の権威を儀礼的に利用した。(つづく)

 

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