連載•小説 秀吉に代わる総大将として四国の長曾我部、九州の島津を撃破
秀吉に代わる総大将として四国の長曾我部、九州の島津を撃破
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2026/01/19

秀吉軍の「中国大返し」は、雨の中で約230㌔の道程をわずか7日で走破し、山崎で光秀と激突。小一郎は官兵衛らとともにいち早く要所の天王山に陣を張って、後から到着した秀吉との連携プレーで光秀軍を撃破する。

 

その最大のライバル・柴田勝家と向かい合った賤ケ岳の戦いでは、小一郎改め秀長は秀吉に任された城を少人数のまま守り抜いて秀吉軍の再度の「大返し」を間に合わせ、勝家を本拠・越前北ノ庄に追い込んで自害させた。

 

秀吉はこうして、自分が信長の次の天下人であることを世の中に認めさせた。

 

ここから秀長は秀吉の代理も務めるようになる。四国遠征では10万の大軍の総大将として土佐の長曾我部元親を降伏させ、続く九州遠征でも、秀吉軍の主力部隊を連れて屈強な島津4兄弟を屈服させている。

 

『豊臣秀長~ある補佐役の生涯』の著者・堺屋太一氏が「百戦不敗」と表現した秀長の面目躍如であろう。

 

だが、秀長の真価は戦よりもむしろ領国経営にある。前述の但馬国での政治・外交の経験をもとに、大和国・紀伊国・和泉国(現奈良県、和歌山県、三重県南部、大阪府の南西部)100万石の大大名として、根強い寺社勢力による内乱を一度も起こさず、江戸開府以降の各藩の運営の教科書となったとも言われている。(つづく)

 

(西川修一)

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