幕府禁制に蔦重・歌麿が打った‶おトボケ″対策
連載•小説
2025/10/30
錦絵にモデルの女性の名を記すことを禁じた1793(寛政5)年の町触れは、素人美人モデルにタ
ダで見る、会えるという蔦重・歌麿の渾身の作『当時三美人』のウリを封じることになった。モ
デルが誰かわからなければ、いくら出来がよくとも美人画は単なる美人画のままである。町触
れ通り名前なしでリリースしても、『当時三美人』のような売り上げを見込むことは難しいだ
ろう。
せっかくのヒット企画もここまでとなるのか――。しかしさにあらず、上に政策あれば下には
対策あり。2人はあれこれ知恵を絞ったに違いない。そして出した結論が、奇妙な図柄の入った
美人画だった
町触れ以降に出された歌麿の美人画――例えば夏と思しき簾のかかった部屋で、団扇片手に合
せ鏡をのぞきながら一人くつろぐ艶やかなカット。その壁に奇妙な絵が掲げられているのだ。
蛇、田んぼに小さな焚火の前で踊る人物等々…という具合。現在の目で見ると何のことか分か
らない。
しかし、当時の人々にはそれが何なのかは自明だった。田んぼは「た」、踊りが鹿島踊りで「
かしま」、焚火は「ひ」、杯は「さ」、蛇は「み」、舌が九の形をしているから「じたく」。
つまり、「高島ひさ身じたく」というわけである。
絵であって文字ではない。これは何だ?と聞かれても「蛇でございます」「田んぼでございま
す」とトボけるわけである。(つづく)
参考文献:近藤史人『歌麿 抵抗の美人画』朝日新書
(西川修一)
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