「美人画にモデルの名を載せるな」幕府規制の意味
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2025/10/27
『よしの冊子』の記述は、続いて「今や水茶屋の店主たちは皆こぞって美しい店員を抱えており、このままでは女たちが芸者同然となってしまい、世の中が衰えるもととなろう」とし、「今のうちに何かしらの規制をかける必要がある」と結んでいる。
これは、町娘が有名になって人を集めることができるようになったのを「はしたない」と考える、もしくは身分制度が危うくなるという危惧であったようだ。今から見れば何とも気の小さい心配事であるが、錦絵という新しいメディアの影響力がここまでとは……という幕府当局の驚きが見て取れる。
これを反映した町触れが出されたのが1795(寛政5)年だった。錦絵に描かれた女性の名前を、その錦絵に記すことが禁じられたのだ。ちょっと首をひねりたくなるような規制だが、2年前に大ヒットした歌麿の『当時三美人』を意識したものであったことは明々白々。どんな美人画を描こうと、モデルが誰か分からなければ、ただの町娘が身分制度を崩壊させる? ほどの人気を集めることはあるまい、という発想だった。(つづく)
参考文献:近藤史人『歌麿 抵抗の美人画』朝日新書
(西川修一)
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