幕府はなぜ、シロウト美人画の大ヒットを危惧したのか
連載•小説
2025/10/23
松平定信の家臣・水野為長が記した『よしの冊子』という文書がある。世情や官界の内幕情報、噂話などを定信に伝えるために記録したもの。伝聞をもとに書かれたもので各エピソードが「~の由」で締められているためこの名をつけられている。
この冊子の中に、歌麿の『当時三美人』に関わる文章も残されている。先に述べた難波屋おきた、高島屋おひさの人気ぶりを語るエピソードは、ここに掲載されていたものだ。
それらは幕府当局の調査員が蔦重、歌麿を継続的にリポートしていたものの一部であったと思われる。『よしの冊子』に載っている以下の一文がそれを伺わせる。
「両国やげん堀水茶屋高橋屋ひさ、浅草観音難波屋の何とか申し候女、いづれも美婦にて、両人とも絵に摺出し評判仕候由」
高島屋を誤って高橋屋と記していたり、おきたの名を失念しているが、先のエピソードも含めて『当時三美人』が世間に与えた影響をリポート。そのうえで、「いずれはこの2人以外の茶屋娘にも、人気が拡大しそうだと危惧する。追い追い、芝明神の近隣や両国河岸の水茶屋の娘もモデルとなるとの噂もある」。
その危惧とは、おきたやおひさを含む茶屋娘たちのストーカー被害やプライバシー侵害を想定したものではもちろんなかった。(つづく)
参考文献:近藤史人『歌麿 抵抗の美人画』朝日新書
(西川修一)
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