書きたくない売れっ子作家を説得した蔦重の似顔絵
連載•小説
2025/08/18
朋誠堂喜三二、恋川春町の2本柱を失った蔦重にとって、最後の切り札は黄表紙の金字塔『江戸
生艶気樺焼』の著者、山東京伝だった。蔦重プロデュースの下、遊郭での粋な遊び方や男女間
の機微を扱った洒落本で大ヒットを連発、後に江戸文学史に残るビッグネームである。
しかし1790(寛政2)年、京伝自身が北尾政演の名で挿絵を描いた別の版元の黄表紙が幕府当局
の摘発を受け、作者が江戸追放、自身も罰金刑の憂き目にあったのをきっかけに、執筆活動に
嫌気がさしたようだ。京伝が吉原の妓楼「扇屋」の遊女・菊園を落籍したこともそれに拍車を
かけた。
ここで京伝にやめられては大打撃となる蔦重は、京伝を懸命に説得したと思われる。翌1791(
寛政3)年正月、蔦重のもとで黄表紙4点と洒落本3点をリリースしたが、その中の1つ『箱入娘
面屋人魚』の中で、蔦重がわざわざ自分の似顔の挿絵入りで、京伝が執筆を継続するに至った経
緯を「まじめなる口上」として読者に報告している。(つづく)
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