連載•小説 一橋治済に「してやられた」松平定信の胸中
一橋治済に「してやられた」松平定信の胸中
連載•小説

2025/12/11

写楽が江戸で大きな話題となった1794(寛政6)年の前年、1793(寛政5)年に松平定信が老中を罷免されていたのは、大河ドラマ『べらぼう』劇中のプロット通りである。就任から6年後のことだった。

 

罷免に追い込んだ黒幕はやはり、一橋治済と思われる。治済はまず、重商主義政策を進めた田沼意次を排除した。商業資本が力をつけてしまい、コメを経済の根本とする武家社会の秩序を乱すからだが、後釜として推した定信は、改革そのものの不人気に加え、治済の思惑通りには動かなかった。

 

その一つが、治済の「大御所」の尊号である。これを名乗れるのは将軍位から退いた前将軍だけで、前例は初代家康と8代吉宗しかいない。さしたる功績もなく将軍位に就いたこともない治済がこの称号を得ることは、謹厳実直な定信には容認できないことだった。

 

それ以上に、徳川家基や田沼意知の死に治済が関わっていることを、定信はとうに気付いていたのだろう。そんな治済に、権力集中を避けるべく提出した将軍補佐を辞する願いを逆手に取られ、将軍補佐のみならず老中の職まで解かれてしまった。

 

史実上、『べらぼう』劇中のような爽快なペナルティが、その後も治済に下されることはなかっただけに、定信の胸中は想像するに余りある。(つづく)

 

TIMES

連載•小説