国境の守りと空白の地:外国人による土地取得と離島国有化の急務

 日本の安全保障が多角的な脅威にさらされる中、とりわけ深刻な懸念として浮上しているのが、外国人や外国資本による重要土地の買収問題である。北海道の広大な森林、水源地、さらには自衛隊基地や米軍基地に隣接する土地が、不透明な背景を持つ資本によって次々と取得されている現実は、国家の主権と国民の安全に対する静かなる侵食と言わざるを得ない。2021年に成立した「重要土地利用規制法」は、注視区域や特別注視区域を指定することで一定の抑止力を期待させるものであったが、その適用範囲や実効性には未だ課題が多く、法の網目を縫うような買収工作が絶えないのが実情である。 この問題において、最も脆弱かつ緊急を要するフロントラインが「国境離島」である。日本は広大な排他的経済水域(EEZ)を保持しているが、その根拠となる離島の多くが管理不全の状態に置かれている。登記簿上の所有者が不明であったり、相続放棄によって実質的な管理者が不在となっていたりする土地は、外国資本による「点」の支配を許す絶好の隙となる。もし、国境付近の無人島や離島の一部が敵対的な意向を持つ主体に取得され、合法的な私有地として拠点化されれば、そこは日本の法的権限が及びにくい「安全保障上の空白地帯」へと変貌する恐れがある。  したがって、日本政府が最優先で取り組むべきは、所有者のいない、あるいは所有者が特定できない離島の迅速な国有化である。現行の民法や不動産登記法、あるいは所有者不明土地法に基づいた手続きでは、権利関係の整理に膨大な時間を要し、刻一刻と変化する地政学的リスクに対応しきれない。国境離島については特例を設け、一定期間の公告を経て所有者が名乗り出ない場合には、国家が強制的に収容・管理できる強力な法的枠組みを構築すべきである。これは私有財産権の尊重という民主主義の原則と、国家存立の基盤である領土保全という至高の命題をいかに調和させるかという問いに対する、現実的かつ断固とした回答でなければならない。 さらに、国有化は単なる手続きで終わってはならない。国有化した後の島々に海洋観測装置や通信設備を配備し、自衛隊や海上保安庁による監視・巡回を常態化させることで、名実ともに「実効支配」を強化する戦略が必要である。土地を守ることは、そこにある資源と海域を守ることに直結する。土地取得問題に対する防衛策を強化し、離島の管理を国家の手に取り戻すことは、次世代に平和な国土を引き継ぐための最低限の義務である。今、政治に求められているのは、法の不備を嘆くことではなく、主権の空白を埋めるための迅速かつ果断な執行力である。 (ジョワキン)
政治•経済

2026/03/31

最新記事

富士山5合目までの鉄道を走らせる!奇想天外の構想が県全体を揺るがせている。
富士山5合目までの鉄道を走らせる!奇想天外の構想が県全体を揺るがせている。

 リニア新幹線では静岡県が揺れたが、今度はお隣、山梨県大揺れという話  富士山五合目までを道路だけではなく鉄道でも行くことができるようにするというのが富士山登山鉄道構想である。最大の推進者は山梨県だが、この構想にいの一番に乗ってきたのは御手洗富士夫経団連名誉会長であるとか山東昭子元参議院議長などである。まあ、そのようなことはほんの彩に過ぎない。構想そのものは雑駁に言えば、かなり以前からある五合目までの自動車道、富士スバルライン上に路面電車を走らせるというものである。要するに新しく鉄道路線を建設するというような壮大なものものではない。そういうわけだけでもないだろうが山梨県全体としてはこの構想は、ほぼコンセンサスが取れてはいる。県としてもこの構想推進については問題なく進行できると考えていた。静岡県のように知事が反対の旗振りをするようなことはなく現職知事含めおおむね構想推進の立場である。  ところがこの構想に妙な形で反対してきた勢力が出てきて県が揺れはじめる。反対を唱える勢力を奇妙だというつもりはさらさらない。反対の仕方が誠に奇妙なのである。  反対勢力は4月26日に満を持して団体を立ち上げた。それが「富士山登山鉄道に反対する会」というもので代表は富士山麓の富士吉田市にある浅間神社宮司である。反対勢力の急先鋒は富士吉田市堀内茂市長である。堀内市長は団体の顧問に就いている。この団体の言い分はこうなる。  「登山鉄道が信仰の対象と芸術の源泉である世界文化遺産の富士山を冒とくしている」  新しく鉄道を敷設することによって富士山の自然を破壊する、であるとか、環境にもよくない、などという点から反対を唱えるというのならば、なるほどそうかもしれないな、と思わせるのだが、そういうことは二の次、三の次で彼らの反対の冒頭が、“富士山の冒涜”と来られては、ん?、冒涜?、とならざるを得ない。鉄道の敷設が富士山をどのように冒涜するのだろうか?これまで五合目までは道路はあるのだ。車やバスならば富士山は冒涜されないのだろうか。また、今回の構想は既存の道路上に鉄路を敷くというもので地形や環境の破壊はあまりなさそうである。反対団体の代表が浅間神社の宮司ということもあってことさら鉄道の富士山への冒涜が目につくのだろうか、などとあらぬことまで想像してしまうのだ。何をどのように冒涜するのかがはっきりしていないだけにこの反対提唱には説得力が伴わないのだ。この奇妙奇天烈なる反対表明を取材してみるとなんとも意外な実態が顔を出してくる。事態は佳境に入ってくる。

社会•事件

2024.11.07

元内閣府特命大臣 竹本直一の『政界一刀両断』 大阪万博は絶対に成功する!その2
元内閣府特命大臣 竹本直一の『政界一刀両断』 大阪万博は絶対に成功する!その2

大阪万博誘致に血道を上げた  7年前、当時の松井(一郎)大阪知事が言い出して大阪万博の誘致が始まった。その時のことを思い出しますよ。二階(俊博)さんが〝(大阪万博誘致の)議連を作ったらいいじゃないか〟と提唱、河村(建夫)幹事長(当時)が旗振り役になった。その議連にはなんと共産党の議員も入ったんだからね。すごいでしょう?文字通り超党派による議連だったんだ。  ところがね、誰とは言わんが大阪出身の国会議員が反対しおってね、大阪出身ですよ。こういうこともあるんですよ、威圧だって反対する人は出てくるもんだ。それは今だって同じなんですな。もちろん、そういう声を頭から無視しようなどとは思ってもいないし、耳を貸さないなどとも思いません。ただね、開催するからにはそれは絶対に成功させなければならないのです。私は経済対策の専門家として、この大阪万博は必ず成功すると信じています。ありとあらゆる観点から見ても成功します。開催して失敗するという要素はありません。それはつまり成功するということです。  万博開催にこぎ着けるために私は血道を上げて駆けずり回りました。  なにしろ、BIE(国際博覧会協会 本部パリ)に誘致の運動のために行くのだって自腹でいったんですからね、自腹ですよ。  いいですか、オリンピックは主催者は東京都ですよ、東京都。ところがね、万博は開催場所の行政体じゃない。国ですよ、国。ここんとこ判っていない人も多いかもしれません。国挙げて行うエキシビジョンの誘致運動の旅費を私はね、自腹だったんです。え、何故かって?先ほど言ったように万博誘致に猛烈に反対する大阪出身の国会議員がいたんでね、まあ、そういう人の批判をかわすためにも国費を使わず自腹にしたんですよ。あれじゃああんまりだと言うんで河村さんが半分だけ負担してくれましたがね。それでも私はパリまで行って誘致を働きかけた。最有力候補だったフランスが誘致合戦から降りたのも私がずいぶん根回しをしたものでした。最後は、アゼルバイジャンを落とし、ロシアとの決戦となった。一騎打ちですよ。2016年のことだ。その時訪ロした安倍(晋三)さんは、帰国するなり、私を呼んでこう言うのです。 安倍元総理が言った、『プーチンは本気ですよ!』  『竹本先生、プーチンは(万博誘致に)本気ですよ』とね。  私は燃えましたですよ、プーチンが本気ならば、私だって本気も本気、真っ向から勝負だ!、と我が身を鼓舞させました。ロシアは最後のプレゼン(テーション)でボリショイバレエの団長のような美声の持ち主を起用したりしてそれはそれは気合いが入っていたようです。日本は私がプレゼンしましたよ。結果はなんと30票もの差を付けてこの一騎打ちに勝ったのです。  私は今でも請われれば、大阪万博の担当大臣に就くつもりもあるんです。大臣は現役の政治家でなくとも就けるんですからね。  それはさておき、大阪万博は間違いなく成功します。万博というのはいわば、産業の披露宴ですからね。  万博を開催することによって日本再生を図る。これこそ万博開催の祭壇の大義なんですよ。そのために私は政治家として最後のご奉公をさせてもらったんです。  あと一年半││。万博開催まで死ねません。毎日のウオーキングはやめません。  

政治•経済

2024.11.07

「ピッカリ投法」復活の日。病気で利き腕を失った元投手の現在【5】
「ピッカリ投法」復活の日。病気で利き腕を失った元投手の現在【5】

 糖尿病に起因する感染症により2024年5月に利き腕である右腕の切断手術を受けた元プロ野球選手の佐野慈紀氏(56)。  現役時代は近鉄や中日で活躍し、中継ぎ投手としてはNPBで初の「1億円プレイヤー」にもなった。  佐野氏の人気を支えたのは中継ぎ投手としての実力だけではない。投球モーション中に意図して帽子を落とし、禿頭を見せて笑いを誘う「ピッカリ投法」も人気の理由だ。  「根っからの野球人」を自称し、引退後も野球に携わり続け、近年では全国の野球少年・少女らを後援する活動も行っている。 ーー野球をする少年・少女らを後援する活動をしていますね。 佐野 僕らが子どもの頃に比べると、今の子どもたちは野球以外の、例えばサッカーとかスポーツの選択肢が増えましたよね。それでも、多くの選択肢の中から「野球」を選んでくれている子どもたちがいるっていうのが非常に嬉しいんです。僕は自分のことを「根っからの野球人」だと思っているんで、野球をやる子どもたちを応援したいっていう気持ちがあったんです。 ーーMLBでの日本人選手たちの活躍もあって、野球に興味を示す子どもたちも増えている気がします。 佐野 そうですね。MLBで活躍する選手が大勢いて、野球人としては彼らの活躍には感動しましたし、すごく勇気付けられました。入り口は何だとしても、野球に興味を持って、野球に関わる子どもたちが増えると良いなぁとは思ってますね。 ーー佐野さんが関わる学童野球の大会があるそうですが? 佐野 今年が18回目になる「ポップアスリートカップ(※)」が神宮球場で12月にあるんです。実は、その始球式を仰せつかったんです。 ーーついに「ピッカリ投法」が復活の日を迎えるわけですね。 佐野 せっかく始球式に出させてもらえるんなら、左の「ピッカリ投法」を披露したいと思ってるんです。そこで、どうせ投げるんだったら、マウンドから投げたいですし、ストライクも投げたい。かなり高いハードルにはなるんですけど、今はそれを目標に掲げて頑張ろうと思ってます。 ーーーーー ※ポップアスリートカップ NPO法人全国学童野球振興協会が主催する学童野球の日本一を決める大会。2024年12月に「第5回くら寿司・トーナメント2024/第18回学童軟式野球全国大会ポップアスリートカップ/星野仙一旗争奪」が明治神宮球場で開催予定。 ーーーーー ==了== 佐野慈紀(さの・しげき) 1968年生まれ。愛媛県松山市出身。第68回全国高校野球選手権大会にて準優勝。近畿大学に進学して同大のエースとしてリーグ10連勝に貢献。1990年、ドラフト3位に指名され翌年に近鉄へ入団。中継ぎ投手としてはNPB(日本プロ野球連盟)で初の「1億円プレイヤー」となる。2003年に現役を引退。 ≪Tiger編集部≫

超有名泡盛メーカーに理不尽極まる貸し渋り、挙げ句の果ては恫喝。沖縄銀行の恐れ入った『蛮行』(前編)
超有名泡盛メーカーに理不尽極まる貸し渋り、挙げ句の果ては恫喝。沖縄銀行の恐れ入った『蛮行』(前編)

〝潰し〟ありきで乗り込んできた地元銀行  事業再生を大義名分にして入り込んできた銀行がやったことといえば、過酷な債権回収はじめ、再生どころか〝潰し〟だった。かりそめにも銀行がそんな蛮行に出たのである。これはニュースにならざるを得ない。しかも、県の指定金融機関なのである。その銀行が、このようなことを堂々と展開するとは当事者のみならず知る者は誰もが目を瞠るのだ。まさしく前代未聞の異常事態というしかない。 その銀行とは、沖縄銀行である。  なにが起きているのか。時系列で丁寧に綴っていこう。  10年ほど前にさかのぼる。  平成20年前後、泡盛の老舗メーカである久米仙酒造株式会社は、沖縄のある名士にこんな依頼をする。  「久米仙酒造は経営面で困窮している。この伝統的会社の火を消したくない。出資の調達ができませんか」││。  名士は、「我が故郷の振興、再建になるなら」、と、二つ返事でこの申し出に応じ、久米仙酒造の全株を引き受けた。  その上、久米仙正造の窮状を凌ぐために沖縄銀行を紹介、同社のメーンバンクに据えた。この名士は、従前、沖縄銀行の頭取案件を見事解決した経緯があるのだ。同行に対して絶大なる信頼がこの名士にはあったのである。そんな名士からの依頼を沖縄銀行は断れるはずもない。ましてや、沖縄の地場産業の革新にある会社の窮状救援、そして再建なのである。  「会長(名士のこと)が全株お持ちの老舗、私たちが100%応援させて戴きましょう!」。胸の一つも叩きかねな勢いで久米仙酒造に乗り込んできた。当然、当初の目的だった融資も実行される。いうまでもないことだが、銀行はそれが主業なのである。  ここまでは、確かに順調だった。 『破産しろ!』、突然声を荒げはじめた  ところが、である。  平成二二年以降、久米仙酒造に対する沖縄銀行の態度は一変する。  同社の担当となった(その時すでに短刀は何代目かになっていた)G、S、Kという3人の法人部担当者らは、口を揃えて、自分の担当顧客に向かって、 『破産しろ!』、『オーナーの株をみんな売ってしまえ!』、『こうなったらもう潰れるぞ!』などと、銀行の担当者として信じられないようなことを口にし始めたのだ。挙げ句、あれほど敬意を表していた、先の名士に対しても、  「(久米仙酒造の)社主として、株主責任がある!」、  などと、それまでの敬意などどこかに置き忘れてしまったかのような信じがたい暴言を吐く始末。同じ組織から出たものとは思えないような発言、言動のオンパレードとなるのだ。わけだが、 久米仙酒造側は、この沖縄銀行のコペルニクス的変貌になすすべもなくむしろ呆れて傍観するしかなかったという。それはそうだろう。  沖縄銀行は、なぜこのような豹変となったのか。  「考えられることはひとつしかありません。さいけんの回収とともに当社に盛んにM&Aを勧誘してきていたのです。しかし、当社は、老舗という自負も抱いていますし、そうそう安直に同業他社に身を売るようなまねはできない。だから、この話はきっぱりと断ってきたのです。ええ、沖縄銀行からは、M&Aの勧誘は一切ではありませんでした。この断りが、どうも彼ら(沖縄銀行)の琴線に触れてしまったのではないか、と思うのです」(久米仙酒造関係者)。  久米仙酒造にだって老舗だけに大いなる矜持という、ものがある。M&Aなどというと聞こえはいいが、要は、債権債務の関係性を強調して、同社を思いのままに銀行の傘下に入れてしまおうと企んでいたとしかいいようがない。債権者特有の上から目線というやつだ。 銀行からの〝いじめ〟がエスカレート  ところがその企みは久米仙酒造の矜持が受け付けなかった。それはそうであろう。自分たちには、沖縄特有の泡盛造りという最高の地場産業に担い手であるという思いがある。いかに債務があろうと、金融機関の拝金主義の企みになど乗るものか。 こんな見上げた意地があるのだ。これは、まさに、東映フライヤーズ(巨人軍ではない)の張本勲ばりの天晴れ、というほかはない。金じゃないんだ!、M&Aがなんだ、冗談じゃない。久米仙酒造は、沖縄銀行からの黒い誘惑をきっぱりはねつける。  「これが、沖縄銀行のプライドを傷つけたに違いありません」(同)。  それからは、沖縄銀行からの〝いじめ〟はそれこそ底なし沼のように続いていく。  「債務は、きちんと返済していっているのです。にもかかわらず、ひどい仕打ちが続くのです」(同)。  沖縄銀行は、まず最初の暴挙を打ってくる。  それまでは、美ら島サービサーが窓口となって沖縄県信用保証協会ならびに沖縄振興開発金融公庫との連携により銀行メインでの返済を続けていたわけだが(つまり、債務者としてのオブリゲーションは間違いなく果たしていたということである)、それを突然、返済の中止を宣言し、それまでの枠組みを解体してしまったのだ。  これを暴挙といわずしてなんというべきであろうか。  久米仙酒造としては、戸惑いしか残らない。  追い打ちをかけるように、沖縄銀行は、追い打ちをかけてくる。なんと、前年に設備投資で建設した工場設備を競売にかけてきたのである。  「久米仙酒造という法人に対する死刑宣告としかいいようがない無茶な行為です。沖縄銀行は、私たちが何を言っても聞き入れる余地はありません」(同)。  久米仙酒造側は、あらゆる考えられる手を尽くして、美ら海サービサー~沖縄銀行にアプローチするものの、一切それが取り上げられるような場面にはならない。(後編に続く)

社会•事件

2024.11.06

究極の“強がり”故に「できないこと」を嘆かない。病気で利き腕を失った元投手の現在【4】
究極の“強がり”故に「できないこと」を嘆かない。病気で利き腕を失った元投手の現在【4】

 糖尿病に起因する感染症により2024年5月に利き腕である右腕の切断手術を受けた元プロ野球選手の佐野慈紀氏(56)。  現役時代は近鉄や中日で活躍し、中継ぎ投手としてはNPBで初の「1億円プレイヤー」にもなった。  「究極の強がり」と公言し、退院後の現在、左腕だけでは「できないこと」を嘆くことなく、左腕だけで「できること」を見つけるのが楽しみでさえあるという。 ーーブログやX(旧Twitter)を拝見すると、ポジティブな内容の投稿が多い気がします。 佐野 こうやって、障がいを持つことにはなったんですけど、引っ込み思案になったり、ネガティブな言動も、ネガティブな姿も、他人(ひと)に見せる必要はないと思ったんですね。僕は、子どもの頃から究極の“強がり”で、ここまで来たら最後まで強がってやろうと。だから、ネガティブに考えるのも、ネガティブな発信をするのも、絶対にやらんでおこうって思いました。 ーーだからこその投稿内容だったわけですね。 佐野 障がいを持ったことで「大変やねん」、「しんどいねん」って言ったって、どうにもならないじゃないですか。だったら、「こんなこともできるんだぜ」とか、「こんなこともやってるんだぜ」っていう風に言えるのが楽しみなんですね。左投げへのチャレンジもそうですけど、この歳になって改めてチャレンジする(できる)ことが増えていくのは楽しみでしかないんです。 ーーそれでも実際、不便なことはありますよね? 佐野 例えば、左手の爪を切れないだとか、シャツの左袖のカフスボタンが留められないとか。あとは、ズボンのベルトって、右手で引っ張って、左手でバックルを留めるじゃないですか。それができないんですよ。でもね、「できないこと」を嘆くんじゃなくて、「こんなこともできないんや」って気付いた時には笑って、ある意味で楽しんでますね。 ーー佐野さんのことを案じている人たちも多いですが、その人たちに向けて何かあれば。 佐野 まぁ、元気です(笑)。まずは、「元気だ」っていうところを見せるのが大事だと思ってます。僕の場合は、根っからの「野球人」なんで、皆さんには野球で返していくしかないと思っているんですね。これから先に、元気に野球に携わっている姿を見せることをお約束します。「コイツ元気なんやなぁ」とか、「相変わらずアホやなぁ」って言われる存在でありたいと思ってます。もし、誰かが僕の姿を見て、「よし! 頑張ろう!」っていう人が一人でも二人でもいるんであれば、それがすごく嬉しいです。 ==次回に続く== 佐野慈紀(さの・しげき) 1968年生まれ。愛媛県松山市出身。第68回全国高校野球選手権大会にて準優勝。近畿大学に進学して同大のエースとしてリーグ10連勝に貢献。1990年、ドラフト3位に指名され翌年に近鉄へ入団。中継ぎ投手としてはNPB(日本プロ野球連盟)で初の「1億円プレイヤー」となる。2003年に現役を引退。   ≪Tiger編集部≫

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