社会•事件
〝潰し〟ありきで乗り込んできた地元銀行 事業再生を大義名分にして入り込んできた銀行がやったことといえば、過酷な債権回収はじめ、再生どころか〝潰し〟だった。かりそめにも銀行がそんな蛮行に出たのである。これはニュースにならざるを得ない。しかも、県の指定金融機関なのである。その銀行が、このようなことを堂々と展開するとは当事者のみならず知る者は誰もが目を瞠るのだ。まさしく前代未聞の異常事態というしかない。 その銀行とは、沖縄銀行である。 なにが起きているのか。時系列で丁寧に綴っていこう。 10年ほど前にさかのぼる。 平成20年前後、泡盛の老舗メーカである久米仙酒造株式会社は、沖縄のある名士にこんな依頼をする。 「久米仙酒造は経営面で困窮している。この伝統的会社の火を消したくない。出資の調達ができませんか」││。 名士は、「我が故郷の振興、再建になるなら」、と、二つ返事でこの申し出に応じ、久米仙酒造の全株を引き受けた。 その上、久米仙正造の窮状を凌ぐために沖縄銀行を紹介、同社のメーンバンクに据えた。この名士は、従前、沖縄銀行の頭取案件を見事解決した経緯があるのだ。同行に対して絶大なる信頼がこの名士にはあったのである。そんな名士からの依頼を沖縄銀行は断れるはずもない。ましてや、沖縄の地場産業の革新にある会社の窮状救援、そして再建なのである。 「会長(名士のこと)が全株お持ちの老舗、私たちが100%応援させて戴きましょう!」。胸の一つも叩きかねな勢いで久米仙酒造に乗り込んできた。当然、当初の目的だった融資も実行される。いうまでもないことだが、銀行はそれが主業なのである。 ここまでは、確かに順調だった。 『破産しろ!』、突然声を荒げはじめた ところが、である。 平成二二年以降、久米仙酒造に対する沖縄銀行の態度は一変する。 同社の担当となった(その時すでに短刀は何代目かになっていた)G、S、Kという3人の法人部担当者らは、口を揃えて、自分の担当顧客に向かって、 『破産しろ!』、『オーナーの株をみんな売ってしまえ!』、『こうなったらもう潰れるぞ!』などと、銀行の担当者として信じられないようなことを口にし始めたのだ。挙げ句、あれほど敬意を表していた、先の名士に対しても、 「(久米仙酒造の)社主として、株主責任がある!」、 などと、それまでの敬意などどこかに置き忘れてしまったかのような信じがたい暴言を吐く始末。同じ組織から出たものとは思えないような発言、言動のオンパレードとなるのだ。わけだが、 久米仙酒造側は、この沖縄銀行のコペルニクス的変貌になすすべもなくむしろ呆れて傍観するしかなかったという。それはそうだろう。 沖縄銀行は、なぜこのような豹変となったのか。 「考えられることはひとつしかありません。さいけんの回収とともに当社に盛んにM&Aを勧誘してきていたのです。しかし、当社は、老舗という自負も抱いていますし、そうそう安直に同業他社に身を売るようなまねはできない。だから、この話はきっぱりと断ってきたのです。ええ、沖縄銀行からは、M&Aの勧誘は一切ではありませんでした。この断りが、どうも彼ら(沖縄銀行)の琴線に触れてしまったのではないか、と思うのです」(久米仙酒造関係者)。 久米仙酒造にだって老舗だけに大いなる矜持という、ものがある。M&Aなどというと聞こえはいいが、要は、債権債務の関係性を強調して、同社を思いのままに銀行の傘下に入れてしまおうと企んでいたとしかいいようがない。債権者特有の上から目線というやつだ。 銀行からの〝いじめ〟がエスカレート ところがその企みは久米仙酒造の矜持が受け付けなかった。それはそうであろう。自分たちには、沖縄特有の泡盛造りという最高の地場産業に担い手であるという思いがある。いかに債務があろうと、金融機関の拝金主義の企みになど乗るものか。 こんな見上げた意地があるのだ。これは、まさに、東映フライヤーズ(巨人軍ではない)の張本勲ばりの天晴れ、というほかはない。金じゃないんだ!、M&Aがなんだ、冗談じゃない。久米仙酒造は、沖縄銀行からの黒い誘惑をきっぱりはねつける。 「これが、沖縄銀行のプライドを傷つけたに違いありません」(同)。 それからは、沖縄銀行からの〝いじめ〟はそれこそ底なし沼のように続いていく。 「債務は、きちんと返済していっているのです。にもかかわらず、ひどい仕打ちが続くのです」(同)。 沖縄銀行は、まず最初の暴挙を打ってくる。 それまでは、美ら島サービサーが窓口となって沖縄県信用保証協会ならびに沖縄振興開発金融公庫との連携により銀行メインでの返済を続けていたわけだが(つまり、債務者としてのオブリゲーションは間違いなく果たしていたということである)、それを突然、返済の中止を宣言し、それまでの枠組みを解体してしまったのだ。 これを暴挙といわずしてなんというべきであろうか。 久米仙酒造としては、戸惑いしか残らない。 追い打ちをかけるように、沖縄銀行は、追い打ちをかけてくる。なんと、前年に設備投資で建設した工場設備を競売にかけてきたのである。 「久米仙酒造という法人に対する死刑宣告としかいいようがない無茶な行為です。沖縄銀行は、私たちが何を言っても聞き入れる余地はありません」(同)。 久米仙酒造側は、あらゆる考えられる手を尽くして、美ら海サービサー~沖縄銀行にアプローチするものの、一切それが取り上げられるような場面にはならない。(後編に続く)
2024.11.06
2024.11.06
明々白々な詐欺事件 その連中は、昨年7月12日に警視庁捜査二課に詐欺容疑で逮捕された。 新聞では事件を次のように報じている。 仮想通貨発行巡り詐欺容疑 全日本プロレスの元オーナーら逮捕 新規の暗号資産(仮想通貨)発行への出資名目で、美術品販売会社から1億5000万円を詐取したとして、警視庁捜査2課は12日、詐欺容疑で、職業不詳野崎勝弘容疑者(59)=東京都港区=と、職業不詳白石伸生容疑者(50)=東京都千代田区=ら男3人を逮捕した。捜査関係者らによると、白石容疑者は、全日本プロレスの元オーナー。他に逮捕されたのは、職業不詳竹本誠容疑者(57)=横浜市磯子区。捜査2課は、野崎容疑者と白石容疑者が主導し、白石容疑者が実質的に経営する仮想通貨交換業者が事業を担うとうそを言って、出資を持ちかけたとみている。 捜査2課によると、事業は実体がなく、金は借金の返済などに使われたとみられる。野崎容疑者らは「300億円規模の資金調達をする。流通すれば利益が出る」などと説明していたという。 逮捕容疑は2018年3~4月ごろ、共謀して東京都中央区の美術品販売会社に新規の仮想通貨を発行すると持ちかけ、現金を詐取した疑い。捜査2課は認否を明らかにしていない。 事業に進展がなく、野崎容疑者らと連絡が取れなくなったため、美術品販売会社が20年5月に告訴していた。(サンケイスポーツ2023年7月12日付記事) 容疑者の中に全日本プロレスの元オーナーがいたことでスポーツ紙がいの一番に採り上げたのだろう。実際一般紙ではこの事件の扱いはいわゆるベタ扱いだった。 同事件の告訴状がここにある。そこではきわめて精緻に事件の全容が綴られている。ここにその一部始終を記しはしないが、Ⅰ億5千万円を首尾よく詐取した経緯は正に手慣れたもので事件の白眉だけにざっと引用しよう。これはとりもなおさず被疑者らの明白な犯意を証明するものなのだ。 例えばこんなくだり。いよいよウソの仮想通貨交換業者に両者(告訴人と被告訴人)が等分に出資を実行しようとする場面。詐欺漢にとっては実際に金を引っ張る最も重要なシーンである。 『~前略~告訴人側と被告訴人野崎らとで面談を行った際、告訴人側から被告訴人に対し、告訴人、被告訴人側それぞれ半額ずつ出資する方法を提案した。 これは、告訴人において、事業立ち上げん移載しての出資金を告訴人が全額負担するとなると、告訴人が単独で事業を行うに等しいこと、被告訴人側それぞれ半額ずつイン側が何らのリスクも負わないのは不安であったことによる。 具体的には、告訴人から被告訴人野崎に対し、告訴人が7500万円、BMI Japan社(※被告訴人側の会社)が7500万円をそれぞれ出資し、出資金の合計額をⅠ億5000万円とするのはどうかと提案したものである。 そうしたところ、被告人野崎より、出資額をⅠ億5000万円に拡大し、それぞれⅠ億5000万円を出資し、出資金の合計を3億円とする旨の提案を受けた。~後略~』。 元々出資する気もない、いや、実際に出資する原資も持たない〝詐欺漢〟たちにとってここは一世一代のパフォーマンスを演じなければならないシーンなのである。相互の出資額をドーンと引き上げる提案をすることで相手(告訴人)の不安を解消しようとしているのである。告訴人にしてみれば、『よもやこの連中(被告訴人)は(出資する)カネがないのでは?。すると共同出資といいながらすべて私(告訴人)が出資する羽目になるのでは?』、という不安に戦いているところ、いきなり倍額などと提示されたらすっかり安心するのである。 このあたりの巧みな展開などを見ても被疑者どもの犯意は明確である。 ちなみに告訴状は令和2年の5月に出されている。捜査に3年あまりが費やされたのだ。それでも告訴を受けた警視庁は捜査を投げ出さなかった。それだけ被疑者の悪意を捜査員らが如実に感じられたのだろう。ついに逮捕にこぎ着けた。 この時の警視庁捜査二課の達成感というのは察して余りある。天晴れと言うしかない。 警視庁は自信を持って送検した。しかし… 告訴人はいう。 「長い時間がかかりましたが、それでも詐欺漢どもが逮捕されて、ああ、ようやく報われた、と思ったものです。警視庁の捜査官たちには思わずねぎらいの言葉を掛けたくなったほどです」。 これは詐欺の被害者としてまったく正直な思いであろう。Ⅰ億5千万円もの大金を詐取されたのである。長きに渡って喪心せずがんばってくれた捜査員一人一人の肩でも叩きたくなったというのは人として真意そのものといっていい。 ここで終わってしまったらまあ凡庸なストーリーに過ぎないが、ことはそうそう単純じゃない。本題はここからにある。 送検された被疑者どものは半年近い(!)時間を経過してある処分となった。 なんと不起訴処分なのである。 送検後半年という時間をかけたというのも異例だが、東京地検刑事部が出した結論が不起訴処分とは誰もが予想だにしなかったまさしく奇想天外な結末である。 「絶句しました」(被害者)。 当然であろう。 まさしく前代未聞の顛末となった詐欺事件。本誌ではこの経緯をこれから深掘りしていく。 東京地検刑事部で何があったのか。
2024.11.05
京都大学名誉教授が創り出した『ドリーム燃料』とは? ガソリン1リッターを今の価格の10分の1で供給できます! これが本当ならば、1リッター1数円でガソリンが買えることになる。原油高でドライブの回数を大幅に減らしている人続出のご時世、この話に飛びつかない人はいないだろう。称して 『ドリーム燃料』。提供するのは、アイティー技研なる会社で、同社代表は京都大学名誉教授の今中忠行氏。ドリーム燃料の開発者はこの今中氏である。10分の1の価格、京都大学のそれも名誉教授、これらアイコンが話題にならないはずはない。昨年中頃からネットなどはいち早くこのトピックに飛びつき話題の渦となっている。 当のアイティー技研のホームページはこんなことが記されている。 ドリームエネルギー製造装置 は、株式会社アイティー技研 代表取締役社長、京都大学名誉教授 工学博士の今中忠行氏らによって開発された技術を基に連続生産を可能にした製品です。ここではその開発会社である株式会社アイティー技研、そして今中忠行氏を紹介いたします。 ~中略~ 保有技術 炭酸ガスと水から常温・常圧で石油を化学合成する技術 軽油・重油を簡便に精製する技術 活性化水を用いて植物の成長を促進させる技術 工業部品の油汚れを洗浄する技術 ビルの冷却水を安価に維持する技術 鉛バッテリーを半永久的に回復・利用することができる技術 河川・湖沼・内海のヘドロを安全に分解する技術 超好熱菌を用いて生ごみ等から水素を生産する技術 特殊光触媒を用いて空気中の菌類を強力殺菌する技術 特許 発明の名称 炭化水素の合成方法及び合成装置 特許番号 特許第6440742号 発明者 今中 忠行、竹本 正 ニッポンの救世主と言われて 今やネットで話題になってしまえば次々とマスメディアが動き出す。案の定、動き出した。いち早く大きく取り上げたのはテレビだ。 そのテレビニュースでは大阪市がこのドリームエネルギー(燃料)を実験し、実際に水と二酸化炭素を原料に特殊な加工を施した結果、今のガソリン価格の10分の1という金額でガソリンを供給できることを証明して見せている。今中教授はそのニュースの中でキッパリと『今のガソリンの10分の1で(ドリーム燃料は)できます』と自信にあふれた顔で言い放っている。いってみれば大阪市がドリーム燃料に対してわざわざ実験までしてみせながらお墨付きを与えているのだ。このニュースは実に2023年1月16日である(テレビ大阪)。このニュースを見た視聴者は目を剥く。〝なんだって、10分の1?やて!うそやろ!いや、大阪市が実験してホンマにガソリンができとるがな、こりゃ本物やな。この先生(今中教授)偉いもんやな」。まあこのニュースを見た大方の視聴者はこんな感想を抱くかあるいは声に出して感心したはずだ。大阪市が声高に『夢の燃料』などといっているのだ。それも広告宣伝なんかではない、ニュースでそう言っているのである。 そのあとも大阪市だけでなく大阪府もドリーム燃料の実証に積極的に乗り出したであるとか仙台市に本社を置く再生可能エネルギー専門会社、サステイナブルエネルギー開発株式会社がドリームエネルギー製造装置を取り扱うなどというような注目度の高いニュースが次々と波状的に流されている。 ドリーム燃料に対する巷間の耳目はいやが上にも高まってくる。当の今中教授はドリーム燃料の開発の場を立命館大学に移し、そこで盛んにデモンストレーションを繰り広げる。もう再生可能エネルギーのステージは、ドリーム燃料で塗りつぶされてきたといっても過言じゃない。今やネット上では、ニッポンのいや、人類の救世主などと持ち上げられ、ちょっとした今中フィーバーが沸き起こっているのだ。 いつまで経っても完成しない! ところが、この熱量に水を差す情報がもたらされた。ドリーム燃料の開発にも大いなる援助もしてきた複数の業者が投げかける。この業者らのいうところはすべて共通している。それらの声をまとめてみるとこうなる。 「ドリーム燃料製造装置はいつまで経っても完成しないのです。実験ではあたかもできあがっているように謳っていますが、実は完成されていません。もうすぐ完成するといってはカネを要求する。いろいろな業者がずいぶん多額の資金を出してきていますが、それでもいまだに完成していないのです。要するにドリーム燃料製造装置はお金を引っ張る道具になっているのです。今中氏はもうすぐ完成、もうすぐ完成、この台詞で実は数年間多くの関係者を騙し続けています。(製造装置は)完成することはないと考えています。今中氏にしても心中は完成することはないと確信しているはずです」。 この証言が事実ということになるとこれが大きな社会的問題に発展することは自明の理である。 ドリーム燃料に関してはもちろん猜疑的な意見は散見されたが、このように真っ向から疑義を唱えられたことはかつてない。本誌はこの問題をさらに追求していく。
2024.11.05
名張毒ぶどう酒事件 今から60年以上も間に起きた名張毒ぶどう酒事件の犯人は、奥西勝という電鉄会社社員ということになっている。奥西は死刑が確定したから疑いの余地はないとされているのも無理からぬところではある。 奥西を犯人とする決め手は、『三角関係の清算』だった。奥西は、その時結婚していたが、愛人をつくり泥沼にはまっていた。警察はその点に目を付け、奥西が妻と愛人との三角関係を一気に清算してしまうために、村の集会で毒を入れたぶどう酒を振る舞ったと事件を見立てた。実際、妻も愛人もぶどう酒を飲んで死んでいる。奥西は当初こそ警察の峻烈な取り調べに嘘の自白をしたものの死刑が確定しても無実を訴え、再審請求を何度も試みている。 毒をぶどう酒に混入したのは、奥西ではなかった。実は奥西にきわめて近しい人物だった。この事実はこの村の人間ならば皆知っている。村の有力者が死んだ奥西の愛人と深い関係だったという人聞きの悪い事実もあった。こういうことについて村人は堅く堅く口を拭っているのだ。飜って奥西に犯人でいてもらえば村は波風が立たずすこぶる安泰なのである。村ぐるみで警察の見立てを裏付けた。これが事件の真相である。
2024.11.05
和歌山毒カレー事件 和歌山毒カレー事件の犯人は林眞須美である、ということを日本国民の99.99%は疑っていない。13年も前に死刑が確定しているのである。林以外に誰が犯人だというのか、これが見事に国民に定着している。 事件と林を結ぶ唯一の点は、〝ヒ素〟である。ところがカレーに混入されたのは、ヒ素ではなく青酸ニトリールというまったく別の毒物という見解が司法当局では定着している。そうだとすれば林はまったく真犯人でなくなってしまう。林が青酸ニトリールを手に入れることはできない。このことは固く箝口令が敷かれている。これまで林を真犯人としてきたものの動機も犯行の手口も目撃情報も事件発生から四半世紀が経とうというのに何ひとつ判明したものはない。判明するはずはないのだ。 誰が真犯人なのか。あのとき事件現場にいたのは未成年、それも小学校低学年の児童だけだった。その児童がどういうルートを経て青酸ニトリールを手に入れたのかはわからない。ただ、児童には動機はない。それは、ほんの〝いたずら〟だった。その児童一家は事件発生から一年も経たずに和歌山をあとにした。彼らの行方は杳としてわからない。林が死刑を執行されることはないだろう。
2024.11.05
注目の兵庫県知事選 衆議院選挙も終わり、次の注目選挙はといえば今月17日投開票の兵庫県知事選であろう。 足下にいると思っていたはずの局長の告発に始まった斎藤元彦知事への告発の波紋は兵庫県だけに留まらずアッという間に全国に波及していったわけだが、結果、全会一致の不信任決議により斎藤氏は失職となり知事選と相成った。ここまでの経緯はすべてのメディアがイヤというほど報じてきただけにここには繰り返さない。現時点で斎藤氏含め7人の候補者が手を挙げている。 ここに到って驚くべき資料が本サイト、月刊タイムスDigital編集部に舞い込んできた。 知事選にまでもつれ込んだ一連の騒動は冒頭記した通り、今年3月に関係各所に投げ込まれた元西播磨県民局長による告発文書である。そこには、斎藤氏の違法行為からおねだり体質、そしてかなり度の強いパワーハラスメントが赤裸々に綴ってあった。それだけではない。この元局長は告発後、斎藤氏への抗議の自死を遂げた。まさしく憤死である。こういうわかりやすい告発にマスコミが飛びつかないはずはない。例の如くメディアは寄って集って火に油を注ぎ込んで斎藤氏は厭(いや)も応もなくたちまち全国にその名を知られることとなったわけである。ここまではいわばおさらい。 本サイトに寄せられたのは文字通り予期せぬ情報だった。元局長の自死は斎藤氏に対する怒りに基づくものではない、まったく別の真相にあったというのである。 どういうことか。 元局長は過去10年以上に渡って複数兵庫県職員と不倫関係を繰り返していた、その事実が明るみに出そうになったことから自死に及んだ、とその情報はいうのだ。そこには不倫相手が示され、もたらされた影響についても縷々綴られている。 さらにショッキングなのは元局長の告発を利用して、斎藤氏下ろしの策謀を実践した勢力がある、と指摘しているのだ。これには関係者の具体的な前や動きがつまびらかに記されているのだ。 このもたらされた情報が事実だとすると、この半年以上に渡って繰り広げられた斎藤元彦兵庫県知事をめぐる騒動というのはこれまで報じられてきたところとはまったく別の様相を見せてくることになる。本サイトではこの瞠目すべき情報を元に取材を重ね、さらなる真相に迫る。
2024.11.05
津波が容赦なく押し寄せてきた 大熊町では震度6強が観測され、海沿いに位置する福島第一原発には、推計13mの津波が到達した。 地震が発生したその日のうちに、原発から半径3km圏内に避難指示が出され、該当する地区に住んでいた方は、スポーツセンターなど町の施設に身を寄せた。原発の状況が悪化するとともに、避難指示の対象は拡大され、翌12日のうちに、大熊町はその全域が避難指示の対象となった。 「とにかく西へ」。避難が始まった当初、町の方に届いた言葉はただそれだけだったという。西のどこ、というわけではなく、「とにかく西へ」。 住民全員が自治体を離れなければいけないという過去にない事態において、受け入れ先の施設など、用意されているわけがなかった。大熊町から南北に移動するための道路は地震の影響で歪み、通れない所が多かったことから、車が通行できる状態であった西に向かう道路で、多くの人が避難することになったそうだ。 これまで何人かの町民の方に、事故後の様子や生活について話を伺ってきたが、多くの方が「2,3日で大熊に帰って来られると思っていた」とおっしゃられる。 大熊町への避難指示が最初に解除されたのは、実際には、事故の発生から丸8年が経過した、2019年の4月であった。その後、2022年6月にも、町内の一部の地区への避難指示が解除されたが、現在も避難指示が発令され、立ち入りを制限されている地区も多く残っている。震災発生から13年が経つ現在も、かつてのご自宅、生まれ育ち長く暮らした地区に帰ることができないという状況の方も多くいる。 ある日突然自分の住んでいた地区を離れないといけなくなり、そのまま10年以上、あるいはもっと長い期間、そこに戻れないという状況に置かれた方の心情は、いくら当人に話を伺ったとしても、私が完全に理解できるものでも、ここで文章にできるものでもないと思う。ただ、先の原発事故がこの町の方の暮らしと故郷を一変させたという事実は、多くの人が改めて目を向け、より重く受け止めるべきであるように思う。 ▼事故後、福島県をはじめとする8県で、生活空間の放射線量を下げるため、除染と呼ばれる作業が行われた。除染にもいくつかの方法があるが、中心となったのは、飛散した放射性物質が付着した土を剥ぎ取ってしまうというものだ。例えば学校の校庭や、公園の土などが対象となり、表土が剥ぎ取られたのである。除染作業は生活再建のために必要なものであったが、除染のため剥ぎ取った、除去土壌と呼ばれる大量の処理という問題が新たに生まれることになる。 福島県内の除染作業に伴って発生した除去土壌は、大熊町と、隣の双葉町に跨り、福島第一原発を囲うように整備された中間貯蔵施設に保管されている。その名の通り、この場所での除去土壌の保管は、あくまで中間的、時限的な措置であるとされ、2045年までに除去土壌は福島県外で最終処分されることになっている。後の連載で詳しく触れたいと思うが、現在中間貯蔵施設になっているエリアも、当然震災前は人が暮らしていた場所であり、この施設のために、少なくとも2045年までは自宅や生まれ故郷に戻ることが叶わないという方もいらっしゃる。 そして、町の名産だった梨やキウイは、除染によりその姿を消すことになった。果樹園地の除染では、表土の剥ぎ取りだけでなく、そこにある果樹の抜根が行われたのだ。放射性物質が付着した土を取り除くには、当然そこに根を張った果樹も、一緒に取り除く必要がある。その理屈も一定程度理解できるが、長年そこで果樹を栽培されてきた方々が除染と向き合われた時、私には到底推し量れない心境があったことと思う。 横浜出身の私は、震災前の大熊の風景も、大熊のフルーツの味も知らない。私が初めて大熊を訪れたのは2021年の夏で、その時にはもうかつての果樹園地は、除染を経て更地になっていた。ただ、その後で町に来た私でも、町の方のお話を伺っていると、少しだけ大熊のフルーツに触れることができる気がする。 震災前、春先には梨の花が一面に咲いて、町内の高い所からそれを見ると、真っ白な絨毯のようだったという話を、何人かの人がしてくれた。小学校の帰り道に、道中の果樹園で梨やキウイをもらって帰ったという思い出話をしてくれた方もいた。町の方が、そうした話を懐かしそうに、どこか嬉しそうに語っているのを見る度に、フルーツがこの町の風景や人々の暮らしを彩っていたのだろうと、知るはずもないその様子を想像してしまう。そして、そんな震災前の町の姿を、私も実際に見てみたかったなと、格別に美味しかったというその梨やキウイを食べてみたかったなと思う。 しかし、いくらそう願っても、震災前の大熊を訪ねることはできないし、町内で本格的な果樹栽培を再開される方もまだおらず、その願望は叶わない。それならば、話に聞いてきたかつての栽培法に倣って、自分がこの町で果樹栽培をしてみようと考えるようになった。それが、私がこの町でキウイを作るようになった最大の理由だ。 この町でキウイを作るというのは私のエゴであり、自己満足だと思っている。この町の出身でもなく、震災前の町の風景を見たことも、大熊のフルーツを食べたこともない私がそれを作ったところで、それは大熊のフルーツを取り戻したとは言えないだろう。特別農業の経験があるわけでもない私が作ったフルーツが、震災前この町で作られていたもののように多くの人に愛され、美味しいと言ってもらえるものになるとも限らない。 それでも、町の方に震災前の話をたくさん聞かせてもらい、この町で作ったフルーツを私は食べてみたいと思ったし、これから先のこの町の風景の中にも、私は果樹があってほしいと思った。そんな個人的な願望を理由にキウイを育てていることが、町の方のためなどとは言えず、どこまでも私の自己満足だと思う。 自己満足だと思いながらも、自分が美味しいフルーツを作り、それを食べた町の方に喜んでもらいたい、自分の取り組みが町の方のためになってほしいという思いもある。先に述べた、この町にキウイが導入された歴史や、長くこの町で果樹に向き合ってきた先人たちの試行錯誤を、自分が引き継ぎ後世に伝えたいとも考えている。それもこれも全部、私のエゴでしかないのだが、そんな理想像が私の原動力になっている。 本格的にキウイ栽培を始める ▼そんな思いのもと、地元の方たちが作った任意団体の活動に参加する形で、2年前からキウイ栽培を始めた。そして昨年秋には、ReFruitsという名前をつけた会社を共同で創業し、今年から会社の事業としての本格的なキウイ栽培をスタートさせた。わざわざ会社を立てたのは、この町での果樹栽培を数十年先まで持続可能な、町の主要な産業と言えるものにしたいという思いからだ。 大熊のフルーツとしては梨の方が歴史は長く、生産量も多かった。それにも関わらず、梨ではなくキウイの栽培から事業を始めたのは、キウイの市場状況が良好で、ビジネスとして成立させられる可能性がより高く、自分たちの目指す産業としての果樹栽培の再生の実現可能性が高いと考えたからだ。 実は過去20年の間、日本全体での人口減少を背景として、梨を含むほぼ全てのフルーツの消費量は長期的な減少傾向にある。そんな中で、キウイの消費量だけはこの20年で2倍以上に増えてきたのだ。 数あるフルーツの中で、キウイだけが驚異的な消費量の伸びを記録している理由は、この業界を牽引とするZespriという巨大企業の強烈なプロモーションと、マーケティング戦略に求めることができる。 緑と黄色のキウイを模したキャラクター、通称「キウイブラザーズ」が歌い、踊る印象的なCMを、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。2016年にZespriが導入したこのCMシリーズは、今や毎日のようにテレビ、youtube、インスタグラムの広告で流れ、キウイの美味しさと健康効果を多くの人にアピールしている。しかしよく考えれば、これは異常なことだ。一つの食材のためのCMが、これだけ多くの媒体で全国的に流されているケースなど、一体他にあるだろうか。りんご単体のCMも、みかん単体のCMもない中、Zespriはキウイというフルーツの認知度と、購買意欲を向上させるための徹底的なプロモーションを、相当な予算をかけて行ってきたのである。 その結果、2000年代初頭には5万トンほどであったニュージーランドからのキウイの輸入量が、2020年には10万トン以上にまで増えている。一方、国産キウイの出荷量は右肩下がりで推移しており、最近は約2万トンにまで落ち込んでいる。つまり、現在キウイの輸入量と国内出荷量の間には、8万トン近い大きなギャップがあるのだ。 Zespriが扱うニュージーランドのキウイは、南半球で栽培されているものなので、国産のキウイとは出回る時期が被らない。そのため現在の日本では、ニュージーランド産のものが出回る時期には10万トン以上のキウイが消費されているのにも関わらず、国産が出回る時期には約2万トンしかキウイが供給されていないという状況になっている。つまりZespriが強烈なプロモーションにより開拓してくれた日本のキウイ市場は、国産の時期においては過小供給の状態になっており、国産キウイは確実に販路を作り、売上を確保することができやすい環境にあるのだ。 こうした背景のもと、会社としては今年の春からキウイ栽培をスタートさせたが、桃栗三年柿八年という言葉があるように、キウイも他の果樹同様に、栽培の開始から実をつけるまでには長い時間がかかるため、本格的な収穫はまだ先になる。それまではキウイによる売上は立たず、キウイの市場状況は良好と言えど、我々の会社としての挑戦は簡単なものではない。 それでも私がキウイを作ろうと思ったのは、現在の共同創業者をはじめ、過去数年この町に関わる中で、多くの方との素敵な出会いがあったからだ。 ありがたいことに、まだ何も成し遂げてない自分にこうした連載のお話をいただいた。拙い文章になってしまうと思うが、せっかくいただいた機会なので、魅力あふれるこの地域の人々との出会いを中心に、当初はキウイを作ることなど全く想像していなかった私の歩みと、私から見えるこの地域の今の姿を、伝えていきたいと思う。
2024.11.03
心房細動治療でミス? 令和6年1月25日に六本木心臓血管研究所において患者A氏の心房細動治療の為のカテーテルアプレイション時に、動脈穿刺による後腹膜の背面部に1ℓ以上の出血による血種発生、骨盤と右下肢の神経圧迫による右脚麻痺に至る。 今回の医療過誤は、動脈を誤って穿刺した事に加え、病院側のアフターフォロー体制が整っていない事で、健康で五体満足な患者の右足を麻痺させてしまった事である。 出血後のCT検査も遅れ、止血も圧迫止血という的外れの方法ですぐに出血を止められずMRI設備が無い為、すぐに止血ポイントの特定が出来なかったものと思われる。 顔面蒼白、意識朦朧、血圧70台、無呼吸も発生していた状況で、妻と娘が懇願しても血液検査をすることも無く、ICUに移して貰えず一晩中放置された。 翌朝9時半にコイルによる止血が行われ、HCU病室に移動された。 動脈穿刺から実に25時間も過ぎていた。 その結果1ℓ以上の大量出血が起こり、26日から27日にかけて多臓器不全に陥った。 直径12cm以上の巨大血種が後腹膜にでき骨盤や右脚神経を圧迫して右脚神経麻痺の為右足首を動かす事も出来ず、歩行にはL字型装具が必要になる。 右脚はピリピリ痺れて痛くプレガバリン等の痺れ止め、痛み止めを服用し続けている。 1月25日の16時にCTスキャンで出血確認された時に、コイルによる止血を行っていたら1ℓにも及ぶ出血も防げたし、右脚の麻痺も無く歩行困難にならなかった。 この件で、担当医師のB氏は医療ミスを家族に対し認めたが、後日病院長の家族に対する説明では医療過誤は無かったとの見解を伝えるが到底納得出来るものでは有りません。 当初の説明では医療費についても請求をしないとの説明を受けていたが、後日医療費の請求書も満額の金額で自宅に送付されてきました。 動脈穿刺による内出血を軽く見た為の止血処置の遅れが原因で巨大な血種ができ、神経を圧迫した事から右脚麻痺に至り、内出血を起こしている患者に対し圧迫止血は有効では有りません。 かえって出血を促す結果になったのではないのでしょうか。 出血による影響で2日間に及ぶ多臓器不全に陥ったが、治療を施して貰い一命は取り留めましたが、その後胆嚢炎や肝臓の数値が悪い等の症状も出ている状況です。 このような状況でも病院側は医療過誤では無く合併症とし対応しているとの主張をしている。 令和6年2月7日に心臓血管研究所から済生会中央病院に転院をしました。 この時の病院間での引継ぎ書を見ると、心房細動に対してカテーテルアブレーションを施行、鼠径部からシース穿刺時に腸骨動脈損傷を来たし後腹膜出血に至った為、出血性ショク、多臓器不全となった。 翌日にコイル塞栓術を施行し止血が得られ多臓器不全は改善傾向と記載が有り、病院側のミスで動脈損傷を来たし、後腹膜出血に至ったとの血種が出来る原因が記載されているにも関わらず、合併症を主張されています。 また、入院前は普通に歩行が出来ていた方が大腿神経・座骨神経領域運動麻痺の可能性、腓骨神経麻痺合併の可能性を指摘していながら病院側の責任は無いとの見解を出されるのか疑問点だらけです。 見守り以上の介助が必要とも記載されていて自力で歩行する事は困難で、足首にL字型装具を着けて介助付きで歩ける状態です。 それでも300m歩ける程度です。 走ることや、車の運転をする事も出来ず歩行は疲れ易く就労は不可です。 妻も夫の介護で就労不可能なので、医療費や立替費用で既に400万円程、負担しています。 右足麻痺は改善しません 現在、血種は無くなりましたが、右脚麻痺は改善しません。 当初は、血種が無くなれば麻痺も無くなると診断されていて、一時は血種除去手術を検討しました。 血種を取り除くのは、骨盤を取っての大手術になり、血種除去により腎臓や膀胱、大腸等の隣接する臓器を傷つけてしまう危険性もあるので断念しました。 結局、血種が無くなっても右脚麻痺は治らないので手術をしなくて良かったのです。 出血箇所をコイル塞栓術で止血してから血圧は120から180と変動幅が激しく、頻脈100以上ですが、手術前は脈が80から90位で血圧は130前後でした。 術前と術後にこれだけの違いが有り、歩行困難にされ医療過誤では無いと主張する病院側担当医師は手術中に動脈の損壊による出血が原因での後腹膜血種による神経圧迫が原因だ と言っていて、録音機にその時の録音もあるのですが、病院側は認めません。 一人の健常者に障害を負わせた罪は大きいと思います。 障害者にされた方は元の身体に戻して欲しいだけです。 大病院の隠蔽体質は罪であり、殆どの方が泣き寝入りしているような現状を改善するべきである。
軽井沢署の事情聴取 今年5月26日、長野県警軽井沢署に一通の告訴状が提出された。 告訴状受理番号は、1100××。告訴内容は、窃盗である。 告訴人は某ボクシングジム(東京)職員A氏。被告訴人は、沼田康司。 捜査関係者の話を総合するとこうなる。 「A氏が買ったばかりの高級スニーカーをちょっと目を離した隙に沼田に盗まれたということだ」。 A氏が勤めるボクシングジムに沼田も所属しており、そのジムは軽井沢で合宿をしていた。 すべての日程を終え、帰京しようとしていたときにこの窃盗事件は起きた。 購入したばかりのスニーカーがなくなっていることに気付いたA氏は血眼になってその行方を探したところ、沼田が素知らぬ顔をしてそのスニーカーを履いていたという。 A氏は当然、沼田を詰問する。その時沼田は、「これは自分のものだ」とシラを切った。 あまりの開き直りに呆れたA氏は、自分の手には負えないと判断、やむを得ず司直の手を借りることにした。 窃盗の現場である軽井沢市の所轄署である長野県警軽井沢署に告訴状を提出したというわけだ。 これがことの経緯である。 「あれはプレゼント」 告訴からほどなくして、沼田は軽井沢署の事情聴取を受けることとなる。そこで沼田は、『あれ(スニーカーのこと)は、プレゼントされたんです。盗んだなんてめっそうもない。プレゼントです!』と憤然と言い放ったという。スニーカーの持ち主が〝盗られた〟として、刑事告訴までしているのにもかかわらず、〝プレゼント〟と言い張る厚顔に驚きを禁じ得ないが、そうなると警察も手を出せなくなる。相互の言い分が明らかに違っていて、両者ともそれを証明することができないとなると警察は手が出せないのだ。 A氏にしてみれば腹の虫が治まらない思いだろうが、そこはもうどうにもならない。これだけでもあまりに理不尽な話だが、そのあとがまたとんでもない。 警察の手から放された沼田は、事情聴取の一件を伊豆からのツイッターにアップした。 そこには、こんなことが書かれている。『(警察の事情聴取を受けたことを前振りにして)ある方の嫌がらせを受けた。皆さんも気をつけましょう!』 「嫌がらせを受けた」 A氏にしてみればさぞかしはらわたの煮えくり返る重いであろう。〝嫌がらせ〟などと言われ、挙げ句の果てに、〝皆さんも気をつけましょう〟などとあたかも沼田自身が被害者かの如く吹聴されたのである。 さて、この沼田だが、実は知る人ぞ知る人物なのである。 元日本ウエルター級チャンピオン。現在39才。まがりなりにもチャンピオンだった男なのである。それが、スニーカーを盗み、バレたら、今度はやれプレゼントされただの、嫌がらせだのと被害者ヅラを臆面もなくする。ハングリー精神や孤高を問われるボクシングというスポーツに携わっていた人間とは到底思えないような醜悪な振る舞いである。 絶えないトラブル 当時を知るボクシング関係者によると、沼田について、「現役時代も引退してからもトラブルは絶えず彼にまとわりついていた」という。そんなトラブルにしたってボクシング以外の生活面でのことが大半だったそうだ。今回の軽井沢署の件にしたってボクシングとは何の関係もない。 これは沼田の人となりを知る上で重要なキーワードとなっている。 「元チャンピオンという金看板を汚すようなことをしでかさなければいいが」。 こんな風に沼田を嘆くボクシング界の重鎮もいる。
2024.11.02





