社会•事件
京都大学名誉教授が創り出した『ドリーム燃料』とは? ガソリン1リッターを今の価格の10分の1で供給できます! これが本当ならば、1リッター1数円でガソリンが買えることになる。原油高でドライブの回数を大幅に減らしている人続出のご時世、この話に飛びつかない人はいないだろう。称して 『ドリーム燃料』。提供するのは、アイティー技研なる会社で、同社代表は京都大学名誉教授の今中忠行氏。ドリーム燃料の開発者はこの今中氏である。10分の1の価格、京都大学のそれも名誉教授、これらアイコンが話題にならないはずはない。昨年中頃からネットなどはいち早くこのトピックに飛びつき話題の渦となっている。 当のアイティー技研のホームページはこんなことが記されている。 ドリームエネルギー製造装置 は、株式会社アイティー技研 代表取締役社長、京都大学名誉教授 工学博士の今中忠行氏らによって開発された技術を基に連続生産を可能にした製品です。ここではその開発会社である株式会社アイティー技研、そして今中忠行氏を紹介いたします。 ~中略~ 保有技術 炭酸ガスと水から常温・常圧で石油を化学合成する技術 軽油・重油を簡便に精製する技術 活性化水を用いて植物の成長を促進させる技術 工業部品の油汚れを洗浄する技術 ビルの冷却水を安価に維持する技術 鉛バッテリーを半永久的に回復・利用することができる技術 河川・湖沼・内海のヘドロを安全に分解する技術 超好熱菌を用いて生ごみ等から水素を生産する技術 特殊光触媒を用いて空気中の菌類を強力殺菌する技術 特許 発明の名称 炭化水素の合成方法及び合成装置 特許番号 特許第6440742号 発明者 今中 忠行、竹本 正 ニッポンの救世主と言われて 今やネットで話題になってしまえば次々とマスメディアが動き出す。案の定、動き出した。いち早く大きく取り上げたのはテレビだ。 そのテレビニュースでは大阪市がこのドリームエネルギー(燃料)を実験し、実際に水と二酸化炭素を原料に特殊な加工を施した結果、今のガソリン価格の10分の1という金額でガソリンを供給できることを証明して見せている。今中教授はそのニュースの中でキッパリと『今のガソリンの10分の1で(ドリーム燃料は)できます』と自信にあふれた顔で言い放っている。いってみれば大阪市がドリーム燃料に対してわざわざ実験までしてみせながらお墨付きを与えているのだ。このニュースは実に2023年1月16日である(テレビ大阪)。このニュースを見た視聴者は目を剥く。〝なんだって、10分の1?やて!うそやろ!いや、大阪市が実験してホンマにガソリンができとるがな、こりゃ本物やな。この先生(今中教授)偉いもんやな」。まあこのニュースを見た大方の視聴者はこんな感想を抱くかあるいは声に出して感心したはずだ。大阪市が声高に『夢の燃料』などといっているのだ。それも広告宣伝なんかではない、ニュースでそう言っているのである。 そのあとも大阪市だけでなく大阪府もドリーム燃料の実証に積極的に乗り出したであるとか仙台市に本社を置く再生可能エネルギー専門会社、サステイナブルエネルギー開発株式会社がドリームエネルギー製造装置を取り扱うなどというような注目度の高いニュースが次々と波状的に流されている。 ドリーム燃料に対する巷間の耳目はいやが上にも高まってくる。当の今中教授はドリーム燃料の開発の場を立命館大学に移し、そこで盛んにデモンストレーションを繰り広げる。もう再生可能エネルギーのステージは、ドリーム燃料で塗りつぶされてきたといっても過言じゃない。今やネット上では、ニッポンのいや、人類の救世主などと持ち上げられ、ちょっとした今中フィーバーが沸き起こっているのだ。 いつまで経っても完成しない! ところが、この熱量に水を差す情報がもたらされた。ドリーム燃料の開発にも大いなる援助もしてきた複数の業者が投げかける。この業者らのいうところはすべて共通している。それらの声をまとめてみるとこうなる。 「ドリーム燃料製造装置はいつまで経っても完成しないのです。実験ではあたかもできあがっているように謳っていますが、実は完成されていません。もうすぐ完成するといってはカネを要求する。いろいろな業者がずいぶん多額の資金を出してきていますが、それでもいまだに完成していないのです。要するにドリーム燃料製造装置はお金を引っ張る道具になっているのです。今中氏はもうすぐ完成、もうすぐ完成、この台詞で実は数年間多くの関係者を騙し続けています。(製造装置は)完成することはないと考えています。今中氏にしても心中は完成することはないと確信しているはずです」。 この証言が事実ということになるとこれが大きな社会的問題に発展することは自明の理である。 ドリーム燃料に関してはもちろん猜疑的な意見は散見されたが、このように真っ向から疑義を唱えられたことはかつてない。本誌はこの問題をさらに追求していく。
2024.11.05
名張毒ぶどう酒事件 今から60年以上も間に起きた名張毒ぶどう酒事件の犯人は、奥西勝という電鉄会社社員ということになっている。奥西は死刑が確定したから疑いの余地はないとされているのも無理からぬところではある。 奥西を犯人とする決め手は、『三角関係の清算』だった。奥西は、その時結婚していたが、愛人をつくり泥沼にはまっていた。警察はその点に目を付け、奥西が妻と愛人との三角関係を一気に清算してしまうために、村の集会で毒を入れたぶどう酒を振る舞ったと事件を見立てた。実際、妻も愛人もぶどう酒を飲んで死んでいる。奥西は当初こそ警察の峻烈な取り調べに嘘の自白をしたものの死刑が確定しても無実を訴え、再審請求を何度も試みている。 毒をぶどう酒に混入したのは、奥西ではなかった。実は奥西にきわめて近しい人物だった。この事実はこの村の人間ならば皆知っている。村の有力者が死んだ奥西の愛人と深い関係だったという人聞きの悪い事実もあった。こういうことについて村人は堅く堅く口を拭っているのだ。飜って奥西に犯人でいてもらえば村は波風が立たずすこぶる安泰なのである。村ぐるみで警察の見立てを裏付けた。これが事件の真相である。
2024.11.05
和歌山毒カレー事件 和歌山毒カレー事件の犯人は林眞須美である、ということを日本国民の99.99%は疑っていない。13年も前に死刑が確定しているのである。林以外に誰が犯人だというのか、これが見事に国民に定着している。 事件と林を結ぶ唯一の点は、〝ヒ素〟である。ところがカレーに混入されたのは、ヒ素ではなく青酸ニトリールというまったく別の毒物という見解が司法当局では定着している。そうだとすれば林はまったく真犯人でなくなってしまう。林が青酸ニトリールを手に入れることはできない。このことは固く箝口令が敷かれている。これまで林を真犯人としてきたものの動機も犯行の手口も目撃情報も事件発生から四半世紀が経とうというのに何ひとつ判明したものはない。判明するはずはないのだ。 誰が真犯人なのか。あのとき事件現場にいたのは未成年、それも小学校低学年の児童だけだった。その児童がどういうルートを経て青酸ニトリールを手に入れたのかはわからない。ただ、児童には動機はない。それは、ほんの〝いたずら〟だった。その児童一家は事件発生から一年も経たずに和歌山をあとにした。彼らの行方は杳としてわからない。林が死刑を執行されることはないだろう。
2024.11.05
注目の兵庫県知事選 衆議院選挙も終わり、次の注目選挙はといえば今月17日投開票の兵庫県知事選であろう。 足下にいると思っていたはずの局長の告発に始まった斎藤元彦知事への告発の波紋は兵庫県だけに留まらずアッという間に全国に波及していったわけだが、結果、全会一致の不信任決議により斎藤氏は失職となり知事選と相成った。ここまでの経緯はすべてのメディアがイヤというほど報じてきただけにここには繰り返さない。現時点で斎藤氏含め7人の候補者が手を挙げている。 ここに到って驚くべき資料が本サイト、月刊タイムスDigital編集部に舞い込んできた。 知事選にまでもつれ込んだ一連の騒動は冒頭記した通り、今年3月に関係各所に投げ込まれた元西播磨県民局長による告発文書である。そこには、斎藤氏の違法行為からおねだり体質、そしてかなり度の強いパワーハラスメントが赤裸々に綴ってあった。それだけではない。この元局長は告発後、斎藤氏への抗議の自死を遂げた。まさしく憤死である。こういうわかりやすい告発にマスコミが飛びつかないはずはない。例の如くメディアは寄って集って火に油を注ぎ込んで斎藤氏は厭(いや)も応もなくたちまち全国にその名を知られることとなったわけである。ここまではいわばおさらい。 本サイトに寄せられたのは文字通り予期せぬ情報だった。元局長の自死は斎藤氏に対する怒りに基づくものではない、まったく別の真相にあったというのである。 どういうことか。 元局長は過去10年以上に渡って複数兵庫県職員と不倫関係を繰り返していた、その事実が明るみに出そうになったことから自死に及んだ、とその情報はいうのだ。そこには不倫相手が示され、もたらされた影響についても縷々綴られている。 さらにショッキングなのは元局長の告発を利用して、斎藤氏下ろしの策謀を実践した勢力がある、と指摘しているのだ。これには関係者の具体的な前や動きがつまびらかに記されているのだ。 このもたらされた情報が事実だとすると、この半年以上に渡って繰り広げられた斎藤元彦兵庫県知事をめぐる騒動というのはこれまで報じられてきたところとはまったく別の様相を見せてくることになる。本サイトではこの瞠目すべき情報を元に取材を重ね、さらなる真相に迫る。
2024.11.05
津波が容赦なく押し寄せてきた 大熊町では震度6強が観測され、海沿いに位置する福島第一原発には、推計13mの津波が到達した。 地震が発生したその日のうちに、原発から半径3km圏内に避難指示が出され、該当する地区に住んでいた方は、スポーツセンターなど町の施設に身を寄せた。原発の状況が悪化するとともに、避難指示の対象は拡大され、翌12日のうちに、大熊町はその全域が避難指示の対象となった。 「とにかく西へ」。避難が始まった当初、町の方に届いた言葉はただそれだけだったという。西のどこ、というわけではなく、「とにかく西へ」。 住民全員が自治体を離れなければいけないという過去にない事態において、受け入れ先の施設など、用意されているわけがなかった。大熊町から南北に移動するための道路は地震の影響で歪み、通れない所が多かったことから、車が通行できる状態であった西に向かう道路で、多くの人が避難することになったそうだ。 これまで何人かの町民の方に、事故後の様子や生活について話を伺ってきたが、多くの方が「2,3日で大熊に帰って来られると思っていた」とおっしゃられる。 大熊町への避難指示が最初に解除されたのは、実際には、事故の発生から丸8年が経過した、2019年の4月であった。その後、2022年6月にも、町内の一部の地区への避難指示が解除されたが、現在も避難指示が発令され、立ち入りを制限されている地区も多く残っている。震災発生から13年が経つ現在も、かつてのご自宅、生まれ育ち長く暮らした地区に帰ることができないという状況の方も多くいる。 ある日突然自分の住んでいた地区を離れないといけなくなり、そのまま10年以上、あるいはもっと長い期間、そこに戻れないという状況に置かれた方の心情は、いくら当人に話を伺ったとしても、私が完全に理解できるものでも、ここで文章にできるものでもないと思う。ただ、先の原発事故がこの町の方の暮らしと故郷を一変させたという事実は、多くの人が改めて目を向け、より重く受け止めるべきであるように思う。 ▼事故後、福島県をはじめとする8県で、生活空間の放射線量を下げるため、除染と呼ばれる作業が行われた。除染にもいくつかの方法があるが、中心となったのは、飛散した放射性物質が付着した土を剥ぎ取ってしまうというものだ。例えば学校の校庭や、公園の土などが対象となり、表土が剥ぎ取られたのである。除染作業は生活再建のために必要なものであったが、除染のため剥ぎ取った、除去土壌と呼ばれる大量の処理という問題が新たに生まれることになる。 福島県内の除染作業に伴って発生した除去土壌は、大熊町と、隣の双葉町に跨り、福島第一原発を囲うように整備された中間貯蔵施設に保管されている。その名の通り、この場所での除去土壌の保管は、あくまで中間的、時限的な措置であるとされ、2045年までに除去土壌は福島県外で最終処分されることになっている。後の連載で詳しく触れたいと思うが、現在中間貯蔵施設になっているエリアも、当然震災前は人が暮らしていた場所であり、この施設のために、少なくとも2045年までは自宅や生まれ故郷に戻ることが叶わないという方もいらっしゃる。 そして、町の名産だった梨やキウイは、除染によりその姿を消すことになった。果樹園地の除染では、表土の剥ぎ取りだけでなく、そこにある果樹の抜根が行われたのだ。放射性物質が付着した土を取り除くには、当然そこに根を張った果樹も、一緒に取り除く必要がある。その理屈も一定程度理解できるが、長年そこで果樹を栽培されてきた方々が除染と向き合われた時、私には到底推し量れない心境があったことと思う。 横浜出身の私は、震災前の大熊の風景も、大熊のフルーツの味も知らない。私が初めて大熊を訪れたのは2021年の夏で、その時にはもうかつての果樹園地は、除染を経て更地になっていた。ただ、その後で町に来た私でも、町の方のお話を伺っていると、少しだけ大熊のフルーツに触れることができる気がする。 震災前、春先には梨の花が一面に咲いて、町内の高い所からそれを見ると、真っ白な絨毯のようだったという話を、何人かの人がしてくれた。小学校の帰り道に、道中の果樹園で梨やキウイをもらって帰ったという思い出話をしてくれた方もいた。町の方が、そうした話を懐かしそうに、どこか嬉しそうに語っているのを見る度に、フルーツがこの町の風景や人々の暮らしを彩っていたのだろうと、知るはずもないその様子を想像してしまう。そして、そんな震災前の町の姿を、私も実際に見てみたかったなと、格別に美味しかったというその梨やキウイを食べてみたかったなと思う。 しかし、いくらそう願っても、震災前の大熊を訪ねることはできないし、町内で本格的な果樹栽培を再開される方もまだおらず、その願望は叶わない。それならば、話に聞いてきたかつての栽培法に倣って、自分がこの町で果樹栽培をしてみようと考えるようになった。それが、私がこの町でキウイを作るようになった最大の理由だ。 この町でキウイを作るというのは私のエゴであり、自己満足だと思っている。この町の出身でもなく、震災前の町の風景を見たことも、大熊のフルーツを食べたこともない私がそれを作ったところで、それは大熊のフルーツを取り戻したとは言えないだろう。特別農業の経験があるわけでもない私が作ったフルーツが、震災前この町で作られていたもののように多くの人に愛され、美味しいと言ってもらえるものになるとも限らない。 それでも、町の方に震災前の話をたくさん聞かせてもらい、この町で作ったフルーツを私は食べてみたいと思ったし、これから先のこの町の風景の中にも、私は果樹があってほしいと思った。そんな個人的な願望を理由にキウイを育てていることが、町の方のためなどとは言えず、どこまでも私の自己満足だと思う。 自己満足だと思いながらも、自分が美味しいフルーツを作り、それを食べた町の方に喜んでもらいたい、自分の取り組みが町の方のためになってほしいという思いもある。先に述べた、この町にキウイが導入された歴史や、長くこの町で果樹に向き合ってきた先人たちの試行錯誤を、自分が引き継ぎ後世に伝えたいとも考えている。それもこれも全部、私のエゴでしかないのだが、そんな理想像が私の原動力になっている。 本格的にキウイ栽培を始める ▼そんな思いのもと、地元の方たちが作った任意団体の活動に参加する形で、2年前からキウイ栽培を始めた。そして昨年秋には、ReFruitsという名前をつけた会社を共同で創業し、今年から会社の事業としての本格的なキウイ栽培をスタートさせた。わざわざ会社を立てたのは、この町での果樹栽培を数十年先まで持続可能な、町の主要な産業と言えるものにしたいという思いからだ。 大熊のフルーツとしては梨の方が歴史は長く、生産量も多かった。それにも関わらず、梨ではなくキウイの栽培から事業を始めたのは、キウイの市場状況が良好で、ビジネスとして成立させられる可能性がより高く、自分たちの目指す産業としての果樹栽培の再生の実現可能性が高いと考えたからだ。 実は過去20年の間、日本全体での人口減少を背景として、梨を含むほぼ全てのフルーツの消費量は長期的な減少傾向にある。そんな中で、キウイの消費量だけはこの20年で2倍以上に増えてきたのだ。 数あるフルーツの中で、キウイだけが驚異的な消費量の伸びを記録している理由は、この業界を牽引とするZespriという巨大企業の強烈なプロモーションと、マーケティング戦略に求めることができる。 緑と黄色のキウイを模したキャラクター、通称「キウイブラザーズ」が歌い、踊る印象的なCMを、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。2016年にZespriが導入したこのCMシリーズは、今や毎日のようにテレビ、youtube、インスタグラムの広告で流れ、キウイの美味しさと健康効果を多くの人にアピールしている。しかしよく考えれば、これは異常なことだ。一つの食材のためのCMが、これだけ多くの媒体で全国的に流されているケースなど、一体他にあるだろうか。りんご単体のCMも、みかん単体のCMもない中、Zespriはキウイというフルーツの認知度と、購買意欲を向上させるための徹底的なプロモーションを、相当な予算をかけて行ってきたのである。 その結果、2000年代初頭には5万トンほどであったニュージーランドからのキウイの輸入量が、2020年には10万トン以上にまで増えている。一方、国産キウイの出荷量は右肩下がりで推移しており、最近は約2万トンにまで落ち込んでいる。つまり、現在キウイの輸入量と国内出荷量の間には、8万トン近い大きなギャップがあるのだ。 Zespriが扱うニュージーランドのキウイは、南半球で栽培されているものなので、国産のキウイとは出回る時期が被らない。そのため現在の日本では、ニュージーランド産のものが出回る時期には10万トン以上のキウイが消費されているのにも関わらず、国産が出回る時期には約2万トンしかキウイが供給されていないという状況になっている。つまりZespriが強烈なプロモーションにより開拓してくれた日本のキウイ市場は、国産の時期においては過小供給の状態になっており、国産キウイは確実に販路を作り、売上を確保することができやすい環境にあるのだ。 こうした背景のもと、会社としては今年の春からキウイ栽培をスタートさせたが、桃栗三年柿八年という言葉があるように、キウイも他の果樹同様に、栽培の開始から実をつけるまでには長い時間がかかるため、本格的な収穫はまだ先になる。それまではキウイによる売上は立たず、キウイの市場状況は良好と言えど、我々の会社としての挑戦は簡単なものではない。 それでも私がキウイを作ろうと思ったのは、現在の共同創業者をはじめ、過去数年この町に関わる中で、多くの方との素敵な出会いがあったからだ。 ありがたいことに、まだ何も成し遂げてない自分にこうした連載のお話をいただいた。拙い文章になってしまうと思うが、せっかくいただいた機会なので、魅力あふれるこの地域の人々との出会いを中心に、当初はキウイを作ることなど全く想像していなかった私の歩みと、私から見えるこの地域の今の姿を、伝えていきたいと思う。
2024.11.03
心房細動治療でミス? 令和6年1月25日に六本木心臓血管研究所において患者A氏の心房細動治療の為のカテーテルアプレイション時に、動脈穿刺による後腹膜の背面部に1ℓ以上の出血による血種発生、骨盤と右下肢の神経圧迫による右脚麻痺に至る。 今回の医療過誤は、動脈を誤って穿刺した事に加え、病院側のアフターフォロー体制が整っていない事で、健康で五体満足な患者の右足を麻痺させてしまった事である。 出血後のCT検査も遅れ、止血も圧迫止血という的外れの方法ですぐに出血を止められずMRI設備が無い為、すぐに止血ポイントの特定が出来なかったものと思われる。 顔面蒼白、意識朦朧、血圧70台、無呼吸も発生していた状況で、妻と娘が懇願しても血液検査をすることも無く、ICUに移して貰えず一晩中放置された。 翌朝9時半にコイルによる止血が行われ、HCU病室に移動された。 動脈穿刺から実に25時間も過ぎていた。 その結果1ℓ以上の大量出血が起こり、26日から27日にかけて多臓器不全に陥った。 直径12cm以上の巨大血種が後腹膜にでき骨盤や右脚神経を圧迫して右脚神経麻痺の為右足首を動かす事も出来ず、歩行にはL字型装具が必要になる。 右脚はピリピリ痺れて痛くプレガバリン等の痺れ止め、痛み止めを服用し続けている。 1月25日の16時にCTスキャンで出血確認された時に、コイルによる止血を行っていたら1ℓにも及ぶ出血も防げたし、右脚の麻痺も無く歩行困難にならなかった。 この件で、担当医師のB氏は医療ミスを家族に対し認めたが、後日病院長の家族に対する説明では医療過誤は無かったとの見解を伝えるが到底納得出来るものでは有りません。 当初の説明では医療費についても請求をしないとの説明を受けていたが、後日医療費の請求書も満額の金額で自宅に送付されてきました。 動脈穿刺による内出血を軽く見た為の止血処置の遅れが原因で巨大な血種ができ、神経を圧迫した事から右脚麻痺に至り、内出血を起こしている患者に対し圧迫止血は有効では有りません。 かえって出血を促す結果になったのではないのでしょうか。 出血による影響で2日間に及ぶ多臓器不全に陥ったが、治療を施して貰い一命は取り留めましたが、その後胆嚢炎や肝臓の数値が悪い等の症状も出ている状況です。 このような状況でも病院側は医療過誤では無く合併症とし対応しているとの主張をしている。 令和6年2月7日に心臓血管研究所から済生会中央病院に転院をしました。 この時の病院間での引継ぎ書を見ると、心房細動に対してカテーテルアブレーションを施行、鼠径部からシース穿刺時に腸骨動脈損傷を来たし後腹膜出血に至った為、出血性ショク、多臓器不全となった。 翌日にコイル塞栓術を施行し止血が得られ多臓器不全は改善傾向と記載が有り、病院側のミスで動脈損傷を来たし、後腹膜出血に至ったとの血種が出来る原因が記載されているにも関わらず、合併症を主張されています。 また、入院前は普通に歩行が出来ていた方が大腿神経・座骨神経領域運動麻痺の可能性、腓骨神経麻痺合併の可能性を指摘していながら病院側の責任は無いとの見解を出されるのか疑問点だらけです。 見守り以上の介助が必要とも記載されていて自力で歩行する事は困難で、足首にL字型装具を着けて介助付きで歩ける状態です。 それでも300m歩ける程度です。 走ることや、車の運転をする事も出来ず歩行は疲れ易く就労は不可です。 妻も夫の介護で就労不可能なので、医療費や立替費用で既に400万円程、負担しています。 右足麻痺は改善しません 現在、血種は無くなりましたが、右脚麻痺は改善しません。 当初は、血種が無くなれば麻痺も無くなると診断されていて、一時は血種除去手術を検討しました。 血種を取り除くのは、骨盤を取っての大手術になり、血種除去により腎臓や膀胱、大腸等の隣接する臓器を傷つけてしまう危険性もあるので断念しました。 結局、血種が無くなっても右脚麻痺は治らないので手術をしなくて良かったのです。 出血箇所をコイル塞栓術で止血してから血圧は120から180と変動幅が激しく、頻脈100以上ですが、手術前は脈が80から90位で血圧は130前後でした。 術前と術後にこれだけの違いが有り、歩行困難にされ医療過誤では無いと主張する病院側担当医師は手術中に動脈の損壊による出血が原因での後腹膜血種による神経圧迫が原因だ と言っていて、録音機にその時の録音もあるのですが、病院側は認めません。 一人の健常者に障害を負わせた罪は大きいと思います。 障害者にされた方は元の身体に戻して欲しいだけです。 大病院の隠蔽体質は罪であり、殆どの方が泣き寝入りしているような現状を改善するべきである。
軽井沢署の事情聴取 今年5月26日、長野県警軽井沢署に一通の告訴状が提出された。 告訴状受理番号は、1100××。告訴内容は、窃盗である。 告訴人は某ボクシングジム(東京)職員A氏。被告訴人は、沼田康司。 捜査関係者の話を総合するとこうなる。 「A氏が買ったばかりの高級スニーカーをちょっと目を離した隙に沼田に盗まれたということだ」。 A氏が勤めるボクシングジムに沼田も所属しており、そのジムは軽井沢で合宿をしていた。 すべての日程を終え、帰京しようとしていたときにこの窃盗事件は起きた。 購入したばかりのスニーカーがなくなっていることに気付いたA氏は血眼になってその行方を探したところ、沼田が素知らぬ顔をしてそのスニーカーを履いていたという。 A氏は当然、沼田を詰問する。その時沼田は、「これは自分のものだ」とシラを切った。 あまりの開き直りに呆れたA氏は、自分の手には負えないと判断、やむを得ず司直の手を借りることにした。 窃盗の現場である軽井沢市の所轄署である長野県警軽井沢署に告訴状を提出したというわけだ。 これがことの経緯である。 「あれはプレゼント」 告訴からほどなくして、沼田は軽井沢署の事情聴取を受けることとなる。そこで沼田は、『あれ(スニーカーのこと)は、プレゼントされたんです。盗んだなんてめっそうもない。プレゼントです!』と憤然と言い放ったという。スニーカーの持ち主が〝盗られた〟として、刑事告訴までしているのにもかかわらず、〝プレゼント〟と言い張る厚顔に驚きを禁じ得ないが、そうなると警察も手を出せなくなる。相互の言い分が明らかに違っていて、両者ともそれを証明することができないとなると警察は手が出せないのだ。 A氏にしてみれば腹の虫が治まらない思いだろうが、そこはもうどうにもならない。これだけでもあまりに理不尽な話だが、そのあとがまたとんでもない。 警察の手から放された沼田は、事情聴取の一件を伊豆からのツイッターにアップした。 そこには、こんなことが書かれている。『(警察の事情聴取を受けたことを前振りにして)ある方の嫌がらせを受けた。皆さんも気をつけましょう!』 「嫌がらせを受けた」 A氏にしてみればさぞかしはらわたの煮えくり返る重いであろう。〝嫌がらせ〟などと言われ、挙げ句の果てに、〝皆さんも気をつけましょう〟などとあたかも沼田自身が被害者かの如く吹聴されたのである。 さて、この沼田だが、実は知る人ぞ知る人物なのである。 元日本ウエルター級チャンピオン。現在39才。まがりなりにもチャンピオンだった男なのである。それが、スニーカーを盗み、バレたら、今度はやれプレゼントされただの、嫌がらせだのと被害者ヅラを臆面もなくする。ハングリー精神や孤高を問われるボクシングというスポーツに携わっていた人間とは到底思えないような醜悪な振る舞いである。 絶えないトラブル 当時を知るボクシング関係者によると、沼田について、「現役時代も引退してからもトラブルは絶えず彼にまとわりついていた」という。そんなトラブルにしたってボクシング以外の生活面でのことが大半だったそうだ。今回の軽井沢署の件にしたってボクシングとは何の関係もない。 これは沼田の人となりを知る上で重要なキーワードとなっている。 「元チャンピオンという金看板を汚すようなことをしでかさなければいいが」。 こんな風に沼田を嘆くボクシング界の重鎮もいる。
2024.11.02
ゲームは規制の対象 マンガやアニメ、ゲームほど叩かれ、規制の対象とされて来たものはないだろう。特に 性的な表現、いわゆるエロ描写に対しては、異常ともいえるほどだ。 平成二十二年(二〇一〇年)の『非実在青少年』はその最たるものだった。 ──非実在青少年。 これは同年三月、東京都議会に提出された「青少年の健全育成に関する条例(通称:青少 年健全育成条例)」で用いられた造語である。 この都条例は、青少年の健全な育成にそぐわない書籍などを『有害図書』として指定、 規制するものだった。 背景には、当時問題になっていた援助交際、未成年モデルの水着やヌード写真集、ティ ーン向け雑誌のSEX記事などがあった。 未成年を性的搾取や性被害から守るため、未成年モデルの際どい写真集を規制し、援助 交際=売春を誘発するような記事をティーン誌から排除する…ここまでは、まあ分かる。 しかし当時の東京都知事・石原慎太郎などの政治家達が、規制対象をマンガやアニメ、 ゲームにまで広げるべく改正した。 未成年に見える存在、そのヌードや下着姿、場合によっては水着までも、それが映って いる媒体を規制しようというのである。 フィクションの未成年(に見える)キャラクター、これをして『非実在青少年』と称し たのだ。実にとち狂ったパワーワードである。 当然ながら『非実在青少年』は失笑と反発をくらった。SNSでは「アニメのキャラと 結婚できるの?」などと揶揄された。 さすがにマズいと思ったのだろう。条例立案者である石原慎太郎氏は「非実在青少年な んて、誰がどう解釈しても、幽霊の話かと思っちゃう」と発言し、分かりにくいと認めた 。そこでこの『非実在青少年』のワードは条例案から削除された。 だが結果としてこの条例案は拡大、暴走する。 同年十二月の条文で、規制対象は「刑罰法規に触れる性交および性交類似行為」と「近 親相姦を肯定的に描いた内容」に変更された。表現規制から、作品の内容やテーマ自体を 規制する内容規制へと変質したのだ。 「顔が幼く見えるから」「子供っぽい体型だから」という個人の主観。「肯定的に描い ている」という個人の印象で、あらゆる表現物を規制できるシロモノになったのである。 これは憲法で保障された表現の自由に反する問題である。 マンガ関係者はじめとする猛反発が沸き起こった。 しかし石原氏はじめ推進派は意に介さなかった。 「児童を性被害から守る」という大義名分を掲げ、「日本のポルノ規制は、諸外国に比 べて甘い」「ポルノ規制がぬるいから日本は性犯罪が多い」「アメリカのように児童ポル ノは所持そのものを違法とすべき」と、その必要性を説いた。 しかし、推進派が並べた規制すべき理由もエビデンスはなかった。 まず、ポルノ規制が厳しい国ほど性犯罪、性被害が多い。これははっきりとデータが出 ているが、表現起規制派は無視している。現在も、だ。 単純所持を違法とすることも問題があった。 この条例案だと「子どもの裸」が写っているものすべてが違法になるのだ。つまり自分 の子ども写真でも、それが裸だったら違法となる。子どもが裸になるシーンがあるアニメ のDVDを持っていると罪になるのだ。 これがどれほどヤハいことか、想像してほしい。 『となりのトトロ』、『ドラえもん』、『クレヨンしんちゃん』のDVDが違法なブツ になるのである。ジブリや東宝にあるマスターフィルムも違法である。問題の部分を切り 取って廃棄しろというのだろうか。もう『華氏451』か『1984年』の世界である。 更に、これを悪用して他人を陥れる危険もあった。何しろ持っているだけで罪に問われ るのだ。実際アメリカでそうした事件は起きている。 児童買春を告発する民間団体からも懸念が上げられた。単純所持が違法になれば、告発 のための証拠映像までも違法になってしまうからだ。 最も大きな問題は、推進派たちは恣意的な運用、濫用を防ぐための方策をまるで用意し ていないことだった。これでは権力を持っている側が、「気に食わない」と思えばいくら でも規制できてしまう。青少年を守ること以外の、別の目的があると勘ぐられても不思議 はない。 これだけの問題、欠陥を指摘されても石原都知事たちは止まらなかった。意地になって いたのか。あるいはそれほどに表現規制がしたかったのか。 新条例の成立 さすがに単純所持を違法にまでは踏み込まなかったが、この東京都青少年健全育成条例 の改正案は都議会本会議で可決され、条例は成立した。 一応、マンガ家や出版業界の反発を考慮して、「作品に表現した芸術性、社会性などの 趣旨をくみ取り、慎重に運用すること」などの付帯決議が付いたが。 この条例に反対して、主要な大手出版社で作る10社会が、東京都が主催する東京国際ア ニメフェア2011にボイコットを表明、原作となるアニメ作品の制作会社にも同様に働きか けることを告げた。 しかし石原都知事は「来るヤツだけで開催すればいい」と強気だった。 結果、この条例に反対する出版社、アニメ制作会社は、東京アニメフェアに対抗して、 同日、千葉でアニメコンテンツエキスポを開催することとなった。 しかしこの二つのアニメフェスは開催されなかった。 東日本大震災とそれに伴う電力不足により中止となったのである。 開催されていれば、石原都知事の面目をつぶし、表現規制派への一撃となったかもしれ ないと思うと残念である。 この一連の騒動はメディアの扱いは小さかった。 「たかがマンガ」「しょせんエロコンテンツ」という頭があったのだろう。エロ表現の 規制に反対することでバッシングされることを恐れたのかも知れない。 中には擁護に回ったメディアさえあった。 マンガ家たちによる条例反対会見で、読売新聞の記者から「出版業界の自主規制が不十 分だ」「不健全図書に指定されても区分陳列をするだけで、表現規制ではない」との声が 飛んだ。 提灯記事を書けば、都政の情報を優先的に流してもらいやすいからなのだろう…と、条 例に反対していた都議は言ったとか。 あれから十数年。この都条例のような愚かな条例、危険な法案は提出され続けている。 香川県の「ゲームは一日一時間」条例。埼玉県の「小三以下の子に留守番させるのは虐 待」条例(こちらは廃案になったが)。そしてAV新法。マイナ保険証もそうだ。 当事者を蚊帳の外においた条例。エビデンスのない理由を並べた規制。恣意的な運用、 濫用を防ぐガイドラインのない法案。愚かで危険な条例、法案がいくつも提出され、通さ れ続けている。 表現の自由は、言論の自由とセットの民主主義の根幹を成すものだ。これを制限するよ うな法や条例に、我々はもっと関心を持たねばならない。 非実在青少年が話題になった時、BL好きの腐女子たちは、「規制されるのはキモヲタ が好きな萌え絵、エロマンガだけ。自分たちは関係ない」とタカをくくっていた。しかし 現在、有害図書とされるものはBL作品が圧倒的に多いという。正に、 「ナチスが共産主義者を連れさった時、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなか ったから。 彼らが社会民主主義者を牢獄に入れた時、私は声をあげなかった。社会民主主義者では なかったから。 彼らが労働組合員らを連れさった時、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかった から。 彼らが私を連れさった時、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった」 これを地で行く出来事である。 愛するものがあるなら、他の誰かの愛するものが傷つけられ、奪われることに対しても 声を上げなくてはならない。それがどんなに下らなく、無用と思えるものであっても。 たかがマンガ、しょせんエロコンテンツと軽くみてはいけないのだ。
2024.11.02
あえて福島に飛び込む 福島県双葉郡大熊町。太平洋に面する海沿いのこの町で、私は農業をしながら生活をしている。 作っている作物はキウイフルーツ。多くの人がキウイに対して南国フルーツのイメージを持っているようで、「福島で作れるのか」とよく聞かれる。確かに国内の主な産地は四国や九州など南西の方で、福島はキウイ産地としては北限と言える。しかし、私の思いつきでキウイを作り始めたという訳ではない。この町は、40年も前からキウイが作られていた、立派な産地であった。 大熊という町の名前を聞いてすぐにピンと来た方もいるかもしれないが、この町には2011年に事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所が立地している。キウイの「産地であった」と過去形にしたのは、先の原発事故によって、この町でのキウイの生産はストップしてしまったからだ。 あの震災の日からしばらく、テレビのニュースでは毎日、毎時間、大熊にある原発の姿が流れていた。私は当時、福島から遠く離れた横浜市内に住む小学校3年生だったが、テレビの中の人が、真剣な面持ちでその危険性を語る放射線、原子力という得体の知れない言葉に、漠然とした恐怖と不安感を抱いていた。一方で、その原発がある町でキウイを作っている人がいたことなど、当時は知る由もなかった。事故が起きた原発がある町、というイメージだけを、その時の私は持っていた。 震災の発生から9年が経過した2020年に、私は大学生になった。元々マスメディアの仕事に就きたいと思っていたため、大学生になったらその仕事に通ずる活動をしておいた方がいいという考えがあった。自分なりに色々考えた結果、小学校3年生から漠然とした興味と恐怖を持っていた原発事故にフォーカスしようと、私はその年から大熊町の方への取材を始めることになる。 その後色々と形を変えながらも、4年ほど大熊町に関わらせていただき、今ではこの町に住むようになったことで、私のこの町に対する見方は、少しずつアップデートされてきたと思う。 当初は原発事故が起きたテレビの向こう側の町と思っていた場所に、自分と同じように小学校に通っていた人や、自分の親のように仕事をしている人がいて、普通の生活、人々の営みがあったことを知った。この地に長く受け継がれてきた伝統芸能や、文化、産業があることを知った。何年もの時間をかけて育まれた美味しいフルーツがあったことを知った。当初原発があることしか知らなかった私は、取材と、この町での生活と、たまの飲み会を通して、町の方にたくさんのことを教えてもらい、この町の様々な面を認識できるようになってきたと思う。 そうして見る大熊町は、小さい頃の私がテレビを通して見ていたよりも、ずっと鮮やかだ。 ここまでの書き振りでも伝わるかと思うが、私の元々の出身は大熊ではない。大熊からは300kmほど離れた、神奈川県の横浜市に生まれ育った。親族や知り合いがこの大熊近辺にいたわけでもなく、縁もゆかりもない場所だった。両親共にサラリーマンで、農家の家系でもない。 実は今も、慶應義塾大学に4年生として所属しているが、その専攻は政治学で、農業の知識や経験を持っているわけでもない。まさに畑違いの農業に挑んでいる私のこれまでの歩みと、私の視点から見るこの地域の様子を綴っていきたいと思う。 ▼まずは私が生活している大熊町について、もう少し詳しく説明しよう。 福島県は東から浜通り、中通、会津と大きく三つの地域に分けられる。大熊町が位置する浜通りは、その名の通り太平洋沿いの地域で、常磐ものと呼ばれる日本で一番美味しい魚介類が食べられる場所として知られる。 大熊町では、町内を通り太平洋に注ぐ熊川で、毎年春先に鮭の稚魚が放流され、秋に海から上ってくるその成魚が、町の名物として人気を博していた。震災後は稚魚の放流がしばらくされなかったため、現在は遡上してくる鮭の量も少なくなっており、かつてのように立派な鮭が毎年登ってくる光景を、私を含め多くの人が心待ちにしている。 熊川の鮭に負けないこの町の特産品として愛されていたのが、梨とキウイだ。福島県全体としても、フルーツの生産が非常に盛んであるが、その中でも大熊町は知る人ぞ知る美味しいフルーツの産地であった。町のキャッチコピーは「フルーツの香るロマンの里」。今もそのフレーズと、町名産の梨とキウイと鮭を抱えたマスコットキャラクターが描かれた看板が、町の玄関口で人々を迎えている。 町一番の特産と言われた梨は、100年以上前から町内で栽培されていたとされる。幸水、豊水を中心に生産されていたようで、町民の方に話を聞くと、「大熊以外の産地の梨は食べられない」と多くの人がおっしゃるほどに、その味は格別だったと言う。先日お会いした東京のフルーツ店の方も、震災前の大熊の梨は特別美味しかったと口にされており、その味は全国区だったようだ。横浜に生まれ育った私は、残念ながらその梨を食べたことはなく、町の人から梨の話を聞くたびに悔しい思いをしている。 そんな自慢の梨に追いつけ追い越せと、震災直前の時期に勢いを増していたのが、キウイフルーツだった。100年以上の歴史を持つと言われる梨に対し、大熊町でキウイの栽培が始まったのは1982年と、震災からおよそ30年前のことであった。この町でキウイが作られるようになった背景を少し深ぼって説明したい。 新しい出会い そもそもキウイは、元々日本には自生していなかった作物である。ではどこが原産国なのかというと、意外に思う方も多いかもしれないが、お隣の中国なのだ。多くの方が、キウイといえばニュージーランドというイメージを持っていらっしゃるかと思うが、実は現在でもキウイの生産量、消費量ともに、中国が世界の半分近くを占めている。ただ中国は自国内での需要、消費量が莫大であるため、中国産のキウイが日本に渡ってくることはなかなかなく、国内で見るキウイの大半はニュージーランド産のものになっている形だ。ちなみに、単位面積あたりの収穫量では、ニュージーランドは中国の3倍近い数字を叩き出しており、生産性、生産技術では南半球の雄に軍配が上がる。 日本には、1970年代になってはじめて、キウイが持ち込まれたとされている。鮮やかな緑色で、他の果物にはない爽やかな酸味を持つキウイは、日本への導入当初はその珍しさもあって高値で取引されたと言う。 そんな一風変わった果樹に目をつけたのが、1970年代から80年代にかけて大熊町議会議員を務めていた、井上文男氏だ。当時の大熊町は福島第一原発の立地が決まり、その建設がひと段落した頃であったが、この町も元々は米農家が大半を占める、一般的な農村であった。そのため、1960年代に全国的にその傾向が現れ始めていたコメの生産過剰と、それに伴う米価の低下、減反政策の導入という課題に向き合う必要があった。この課題への解決策の一つ、コメに代わる新規作物として、まだ国内では珍しかったキウイを町の新たな特産にしようと、井上氏は考えたのである。 平成4年に発行された『大熊町農業協同組合30年史』にも、「健康食品として人気のあるキウイフルーツを、水田転作作物として当町に導入してはどうか、調査して欲しいと57年に町の議会から依頼があり、役場産業課が主体となって調査した結果導入することとなり、ただちにキウイフルーツ協会を設立して、60年より5ヶ月間に20haを栽培目標面積として、町の補助事業として取り組むこととなった」という記述がある。「町の補助事業として」という点が興味深く、実際に当時キウイ栽培を始められた方に聞くと、キウイ栽培にかかる設備投資や苗木の購入については、全額に近い形で町からの補助があったと言う。補助事業の詳細について記載された資料は現時点で見つけられていないのだが、町としてかなり力を入れてキウイの導入、産地化を目指していたことは確かだろう。 その町役場の情熱は、すぐに民間にも伝播していったようだ。1971年から毎月発行されている「広報おおくま」。その昭和57年7月号には、「大熊町キウイフルーツ生産組合栽培時次指導講習会開催される」という見出しの記事が踊っている。記事によれば、この年の3月に、町内で最初にキウイを育て始めた15名のメンバーにより、この組合が発足。同年6月半ばに当時の日本キウイフルーツ協会理事長の澤登晴雄氏を町に招いて、講習会が開かれたそうだ。澤登氏は、日本で最初にキウイの栽培を始めた方として、界隈ではかなりの有名人である。そんな大物を、発足からわずか3ヶ月の段階で大熊まで呼び寄せたところに、この組合を組織した15人のパイオニアたちの熱が感じられる。 この15人の中には、現在まで元気に暮らされている方もいらっしゃる。何人かには私も直接当時の話を聞くことができた。導入当初は、当然誰もキウイ栽培の方法など全く知らない中で、先述の澤登氏の農園をはじめ、全国各地のキウイ園への視察や研修に足繁く通い、各人が身につけた技術や知見を他のメンバーと共有しながら、町内の生産者全体で栽培技術を高めて行ったのだという。 当時も今も、国内のキウイ産地は四国や九州など西日本に集中している。北限の産地とも言われる大熊町では、他の産地にはない霜のリスクや、土壌特性、天候の違いなど、様々な困難があったというが、先人たちはそうしたハードルにぶつかる度に数えきれない努力と試行錯誤を繰り返してきたそうだ。 そんな黎明期から約30年、2010年の段階では、町内でキウイを栽培する経営体の数は25まで増え、その売り上げは1億円に迫るまでになっていた。「ビーナス」と名付けられた大熊産のキウイは、町内外で評判を呼び、贈答用としても多くの方が購入されていたという。1人の町議会議員と、15人の生産者から始まったキウイ特産化に向けた動きは、見事に結実したと言えるだろう。 ▼そんなタイミングで町を襲ったのが、2011年3月11日の震災と原発事故であった。
2024.11.02
ときに政治家の失言には妙に納得させられることがある。 例えば四年前、二〇一九年四月、北九州市で開かれた福岡県知事選挙候補者の集会における塚田一郎国土交通副大臣(当時)の発言。故 安倍晋三氏の選挙区である山口県下関市と中選挙区時代に麻生太郎氏の地元であった北九州市を結ぶ下関北九州道路の建設計画に触れ、こ んなことを話した。 「吉田博美参院幹事長(当時)と大家敏志参議院議員が『地元の要望がある』と副大臣室に来た。何とかせにゃならん。下関と北九州で すよ。よく考えて下さい。下関は誰の地元ですか。安倍晋三総理です。総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まって いる。吉田幹事長が『これは安倍総理大臣と麻生副総理の地元の事業なんだよ』と。私すごく物わかりがいいんです。すぐ忖度します。分か りましたと。そりゃ総理大臣とか副総理がそんなこと言えない。でも私は忖度します。」 派閥の領袖麻生氏の地元ということもあってか、当該の地で大勢の前に立ち、塚田議員の口は滑らかになったようだ。 実際、財政難で一旦凍結されたこともある下関北九州道路建設計画が、最終的には国直轄の調査に引き上げられ、二〇一九年度からは国 が調査費用を全額負担することになったのだ。国土交通副大臣のポストにある塚田氏が忖度したというのなら、これを政治手腕と言わずし て何であろうか。 失言は事実なり この塚田議員の発言を受けて、国民の多くは納得したはず。やはり大物代議士を選出する選挙区にはメリットがあるんだなあと。選挙区 に大物代議士がいれば小さな町でも大きな道路が出来るし、大型施設も夢ではない。逆に大きな町でも野党政党の議員を出せば、ちょっと した道路工事にも長い年月がかかることを覚悟しなくてはならない。ほんの数百メートルの道路拡張工事がいつまで経っても終わらない、 という声はあちこちで聞かれる話だ。有権者も政治家を頼みにするし、政治家も有権者の為に働こうとする。 時代は遡るが新潟県の道路事情が良いことと新潟から総理大臣が生まれたことを無関係に考える人はいないはずだ。大物政治家の鶴の一 声で新幹線の駅がポッと田畑のど真ん中に出来たこともある。 最近で言えば、あの森友学園問題では、国有地が払い下げられる過程において、行政側のえげつない「忖度」が働いていたことを知ら された。麻生派の塚田議員が麻生太郎氏の地元に貢献しようと忖度するのは筋が通っている。 ところが、塚田議員は「大勢を前に我を忘れ事実とは違う発言をした」と全面的に発言を撤回。発言から四日後には副大臣職を辞任する ことになった。せっかく国民に政治家としての功績を披露したのに「失言」扱いとなってしまったのだ。でも、それは誰に対しての「失言 」か。国民にとっては「忖度」が政治を動かしているという「明言」だったのです。 そして最近、もっと腑に落ちる失言があった。石川県の馳浩知事の二〇二一年開催の東京オリンピック招致に関する発言だ。 「(安倍総理大臣から)『国会を代表してオリンピック招致は必ず勝ち取れ』と。ここから、今からしゃべること、メモを取らないよう にして下さいね。『馳、カネはいくらでも出す。官房機密費もあるから』」 さらに「一〇五人のIOC委員全員のアルバムを作って、お土産はそれだけ。だけどもそのお土産の額を言いますよ。外で言っちゃダメ ですよ。官房機密費使っているから、一冊二〇万円するんですよ」 馳知事はこれらの発言が明るみに出ると「事実誤認」を理由に直ちに撤回。その後は、発言のどの部分について事実誤認があったのかも 語らないまま、この件について堅く口を閉ざしたのである。 こんな具体的な話をしておいて「失言」?いえいえ、国民にとっては、オリンピックがいかに秘密裏にお金を動かしているかを知る「明言 」なのです。IOC委員一〇五名全員の、現役選手として、あるいは各競技団体の長として活躍する姿を、個々に収めたアルバムです。さ すが「おもてなし」を前面に出して招致活動を行っただけのことはあります。一人二〇万円ですから単純に見積もって二一〇〇万円です。 そんな高価なアルバムはまず見られませんから、サンプルを聖火リレーでつかったトーチのように展示すれば良かったのです。でもそうし ない所に国民に対する後ろめたさがあると思いませんか。 そもそも東京オリンピック二〇二〇に関わる費用については、今もって納得出来ないことが多い。立候補時に見積もった予算は七三四〇 億円。それが最終的には一兆六九八九億円まで膨らんだ。規模、演出を縮小して行ったにもかかわらずだ。大会関連経費まで含めると三兆 六八四五億円である。その多額の差額はいかようにして埋めることが出来るのか。考えただけでも恐ろしくなる。新型コロナウイルスの感 染拡大による一年延期しての開催、そして各競技は原則無観客という異例づくしの大会ではあった。現場に混乱が生じたことは理解出来るが 、大会関係者用の弁当三〇万食が廃棄されたほか、感染対策のマスクや医療用品も大量に廃棄されるなど資金面における管理の杜撰さが目 に余る。工事費の増額は必ず億単位。コロナ下であったにも関わらず、切り詰めてことを運んでいるようには感じない。まるでどんぶり勘 定だ。 馳知事の発言は、まさにその杜撰さをも示唆している。秘密裏にお土産代に一人二〇万円を使ったことも問題だが、それ以上に「官房機 密費」という名のもとに、いくらでも使えるお金があることが問題なのだ。何故なら税金でありながら、国民にはその全体像が全く見えな いからだ。 見えないと言えば、東京オリンピック・パラリンピックのスポンサー選定を巡る問題も未だ闇に包まれている。例えば事件の中心人物 となっている高橋治之前理事。複数いる大会組織委員の中で、賄賂を受け取ったとされるのはこの人だけ。しかも一社につき千万単位の金 額を受け取っている。何故、この理事だけがこんな旨い汁を吸えたのか。組織委員会の各メンバーはそれなりに社会的地位を築いた人ばか りである。例えば招致活動で活躍した馳知事もその一人。政治家、財界人、アスリート等々幅広い分野から招聘されている。それらの委員 がスポンサーの選定に関わることなく、高橋前理事、あるいは電通の一存で決められていたとしたら、それは大会組織委員会の在り方が問 われることになってくる。だが、その組織委員会も昨年解散。裁判は続いているのに、我々が疑問をぶつける先はもうないのである。見事 な演出としか言いようがない。裁判における高橋前理事の「失言」を期待するしかない。 それにしても、KADOKAWAやAOKIホールディングス側が高橋前理事に渡したお金が惜しまれてならない。せっかくお金を使う のなら協賛金を増額してくれたら良かったのだ。少しでも国民の負担が軽くなれば、それは明らかな社会貢献だ。 二〇二五年には大阪万博が開催される予定だ。こちらも東京オリンピック同様、日増しに増えていく予算に国民感情はついて行けない。 こと「機運醸成費」三十八億円には驚かされる。政府は費用増額の原因を物価高騰に求め正当化するが、若者世代には「そこまでしてやる 必要があるのか」という声が広がる。今後、そのツケを背負うのはオレ達じゃないかというのがその理由だ。少子化の時代、政府はその場 凌ぎに税金を投入し国債を発行すべきではない。それよりも今流にクラウドファンディングを導入してみてはどうだろうか。政府案に対し 、有権者が直接忖度する。政府にも多少は国民の声が伝わるのではなかろうか。
2024.11.02





