連載•小説
ここで、イサーク・ティチングという別のオランダ人の証言が興味深い。東インド会社のメンバーで外交官でもあったティチングの著書『日本風俗図誌』は、江戸時代の習俗や政治を体系的に記録したすぐれた研究書であり、歴代将軍の事績や婚礼・葬儀の儀式について詳しく描いている。 当時は長崎・出島の商館長として高位の幕閣や大名にも知己がいたティチングは、『図誌』の中で家基の死について、「狩の途中で乗馬もろとも崖から落ちて、血を吐いたことが死因と言われている」と具体的に記している。ティチング、フェイト両者の記録物に幕府の検閲を受ける義務はない。死因をどうとでも隠蔽できる病死という表現よりも、大怪我による死の可能性のほうがずっと高い。 それが事故によるものなら、鷹狩に随行したメンバーは切腹か御家断絶が当然であろう。ところが、その後の経歴をたどると、まず鷹狩の総責任者だった西の丸若年寄・鳥居丹波守忠意(ただおき)はその後なぜか本丸若年寄に昇格している。 鷹匠の内山永恭(えいすけ)は旗本クラスに家基につきっきりだった馬方・村松歳釐(としのり)は、何と次の11代将軍・家斉にそのまま付いて、その後も14代将軍まで代々御召馬預を務めている。 そして永恭の義兄は、何と将軍家御庭番・村垣左大夫軌文。代々将軍直属の諜報員を務める御庭番の最も重要な業務は将軍のお世継ぎの警護であり、軌文の息子・定行は家基と同い年。定行が鷹狩に随行した可能性は極めて高い。 その定行は後に勘定奉行——今で言えば財務事務次官——にまで出世し、他ならぬ一橋治済の片腕として大活躍した人物なのだ。(つづく) 参考文献:秦新二、竹之下誠一著『田沼意次 百年早い開国計画』文藝春秋
2025.05.08
野球評論家の佐野慈紀氏がボルチモア・オリオールズに移籍した菅野智之投手の「今後の苦戦」について語った。 35歳で海を渡った〝オールド・ルーキー〟が奮闘している。4月28日の本拠地でのヤンキース戦では先発登板し、5回5安打無失点8奪三振との好投。ヤンキースのスーパースター、アーロン・ジャッジとの対戦では2打席目まで安打を許すも、3打席目では切れ味するどいスプリットで空振り三振を取った。 オールドルーキーの快投シーン、特にヤンキース打線から8奪三振を奪ったことにはMLB公式Xでも「トモユキ・スガノはこれまで5回の先発で9奪三振しか記録していなかったが、彼は今夜5イニングで8奪三振を積み上げた!」と剛腕ぶりを紹介。 菅野投手の強みについて佐野氏は「かけひきのうまさ。自分のペースにもっていけるところ。バッターをしっかりコントロールできる柔軟性でしょうね」と語る。 「菅野投手がアマチュアの時から見ていました。最初は速い球を投げるだけのピッチャーかと思っていた。それでプロに入って、いろいろと様子をうかがっている内に『これは違うぞ』と。『クレバーだぞ』と。それで結果を残しましたからね」と、若いころから菅野投手を見てきた佐野氏にとっても現在の活躍は納得だという。(つづく)
2025.05.06
『浴衣を着るタイミング』 宿で温泉に入る前に、なぜ先に浴衣に着替えるのだろうか? 普通、着替えは湯に入って清潔になったあとである。俺は温泉で温まった身体を浴衣で包みたい。俺は入浴前の俺で温まった浴衣は着たくないのだ。温泉の宴会も疑問である。大抵が、入浴前に浴衣を着て参加。料理、酒、カラオケ、変なゲーム。結果、汗ダラダラ!おいおい、温泉のあとに宴会にしてくれ。 だが、そうだとしても、サッパリした身体に汗をかいてしまって意味は無し。こうなったら私服で参加するしかない。入浴後だとしても、浴衣ではなく持参した新しい服に着替える。浴衣を着るタイミングは、寝る直前が望ましい。しかし、ここまで書いてきて気付いたが、せっかく温泉という非日常へ来たのだから、非日常の浴衣は早めに着てもよいのではないか。細かいことは気にせず大いに楽しむべきだ。 よ~し!俺は今度温泉に行ったら湯上りに浴衣姿で卓球するぞ~!いや、だめだ。一番汗をかくじゃないか!
2025.05.06
母 その2 留置所 「あなたの好きなお肉を焼いておくからね まっすぐ帰って来て頂戴」 タクシーは遠いところで降りたっけ 留置所帰りの俺と母親 この二首は、前回にも掲出。意味は通りやすいと思うが、どうでしょう。 一首目は、警察に面会に来た母親の言葉をそのまま書いた。この時点では食べ物で釣ってただけだが、実際は二首目のように、警察から釈放されたら入り口で母が待っていて、すぐタクシーに載せられ、大田区から府中までロングドライブになった。 留置場とは、逮捕された時に入れられる警察の中の施設。ブタ箱なんて俗称もある。留置所は逮捕されただけで、まだ起訴されてない。起訴されると検察の管轄になって「拘置所」に収容される場合が多い(全国に8か所)。「東京拘置所」は今は小菅(足立区)にあるが、戦後は今の池袋サンシャインの場所にあった。その頃は巣鴨プリズンと呼ばれていた。同じ場所なのに刑務所の時は巣鴨で、商業施設になったら池袋となる。なんだかなぁ。 拘置所に入れられてるのは裁判中の被告なので、有罪か無罪か決まってない。裁判で有罪、そして執行猶予で保釈されない限り、「刑務所」送りとなる。下獄といい、落ちるともいう(何の原稿だかわからなくなった)。
2025.05.05
1779(安永8)年、将軍家治の嫡男・家基が16歳で突然死去したことはすでに触れた。「8代吉宗の再来」と言われた英才で、家康以来の由緒ある「家」の字をその名に冠しながら将軍の座に就けなかった、歴代唯一の跡取りである。 大河『べらぼう』の劇中では何者かが手袋に毒を仕込まれた、という筋書きだったが、公式の記録『徳川実紀』には「鷹狩に出かけ、寺で休憩中に突然発病され、急ぎ帰城した」「祈祷を頼んだが、3日後に亡くなられた」とシンプルに片付けられている。 ところが、当時の江戸城警備の大番の日誌には、「輿に乗せたが激しく吐血され、お供の者が持っていた鼻紙をすべて使い果たした」としながら一連の経緯が「いたって不適当」、つまり不可解だと記されている。また、家基が休憩した寺の住職の日誌も残っているが、それでは鷹狩を終えて帰城した折にはまだ元気で、夕方になってまた狩に出かけたことになっている。 長崎・出島のオランダ商館から江戸に赴いたフェイトという商館長は、「到着した直後に聞いた「狩の途中で落馬し、鞍が胸に落ちた。大量の出血があり、城へ連れ戻されたが間もなく死去した」というエピソードを日誌に記している。「鞍が胸に落ちた」という表現がわかりづらいが、。いずれも「突然の病気」とはかなり異なる描写である。 日誌の記述は「家治はほとんど発狂寸前に深く悲しみ、その悲しみの余り老中の一人を殴ったそうだ」「何人かの人は切腹し、住民は静寂を保ち、店を閉め、3日間の沈黙に入るようお触れが出された」と続いている。(つづく)
2025.05.05
そんな中で佐野氏が日本の野球ファンの間でもおなじみの木佐貫洋投手(元巨人、オリックス、日本ハム)、バウアー投手(現横浜DeNA)の2投手の名前を上げ、佐々木投手が〝メジャー無双〟するためのレベルアップの課題を上げた。そのポイントは・・・。 投げるストレートの「力強さ」だ。 佐野氏は「これ言うたら、怒られるんちゃうかなぁ・・・」と頭をかきながらも「僕が最初に佐々木投手のストレートを見たときの印象は『木佐貫みたいな感じやなあ』だった。シューっと伸びてくるストレートは段違いに速い。ただ、バッターに当てられた時の強さというか。僕が思うに投手は結局、ベース上での球の力強さが必要だと思ってるんです」と訴えた。 最後には「佐々木投手もどんどんアジャストしています。クオリティスタート(6回自責3点以下)もできるようになってきた。今後のレベルアップのためには下半身の強化が必要でしょうね。僕の中の理想はバウアーみたいな、ゾーンで勝負できるような強いストレートを投げること。それができるようになれば、もうメジャーでも無双するんじゃないでしょうか」と締めくくった。 佐々木投手の進化に注目だ。
2025.05.04
野球評論家の佐野慈紀氏がロサンゼルス・ドジャースに移籍した佐々木郎希投手が〝無双〟する条件について「木佐貫洋」から「バウアー」への〝球質進化〟を上げた。 佐々木は4月まで6度登板したが、待望の初勝利をあげることはできなかった。 「日本球界であれだけ(完全試合など)派手なことをしてしまったんで、かなりレベルの高い投手と思われているが、まだまだ発展途上です。まだ自分を完全にコントロールできていないと思います」と佐野氏は指摘する。 同じくドジャースに所属する山本由伸投手の名前を上げ「山本投手は投手としてはほぼ完成系です。調子が悪い時には自分で修正できる能力を持っていて、ほぼ満点に近づけられる。佐々木投手はまだまだ。自分の理想があるはずなのでなんとも言えませんが、まだ50点ぐらいしか自分の力を把握できていないのでは」と比較した。日本球界ではあれだけ空振りさせたストレートもメジャーの打者には痛打されるシーンも目立っている。(つづく)
2025.05.02
『花粉症2025』 今年の花粉は多い!と毎年言っているような気がするが、間違いなく言っている。 少なくとも俺は30年以上前から言っている。 俺は子供の頃から花粉症であるが、当時はその名称に馴染みがなく定着し始めのは中学生になってからだった。クシャミ連発、鼻ダラダラ、目しょぼしょぼ。俺は学校で「ハクション鼻水大魔王」のアダ名をつけられていた。登校時にマスクを付けていると、風邪と勘違いされ通学路で避けられたこともあった。 だが、花粉症のニュースを耳にした時、学校のみんなは俺に違和感を感じなくなった。なぜか学校には花粉症持ちの生徒は殆どいなくて、俺は「あの有名な花粉症!」とうらやましがられていた。流行の最先端でカッコイイと思っていた俺はアダ名を汚名挽回できるかと思ったが、逆に、毎年春だけ目立つ、俺自身が花粉症のような存在になっていった。今や花粉症は「一億総ハクション鼻水大魔王」だ。 ようやく俺にも仲間ができた気分である。
2025.05.02
江戸期の天才・平賀源内は1779(安永8)年、伝馬町(現小伝馬町)の牢屋敷で病死したとされる。ただ、その直前の行動に奇怪な点が多々見受けられたという。 入獄の直接の原因は、酔ったあげく門人の1人で大工の秋田屋九五郎を斬殺したことだった。九五郎が請け負った仕事の見積もりについて源内と九五郎、注文主の大名の用人の3人が相談ついでに明け方まで飲んで酔いつぶれたのだが、目を覚ました源内が、手元に置いたはずのとある重要な図面が見当たらぬことに気付く。 九五郎が盗んだと考えた源内は、口論の末に九五郎に斬り付け、間に入った用人にも怪我をさせた……というのが事のてん末である。図面は酔いがさめた源内が枕元の手箱の中にあったのを確認している。そのまま牢屋敷に連行され、1か月後に病死した。 その死因については様々な説がある。後悔の念から絶食した、破傷風にやられた、等々。意次のはからいで密かに生き延びたとの説もある。奇妙なのは、事件直前の源内の言動だ。自分を差し置いて戯作をヒットさせた弟子を罵倒したり、人に乞われて頭から小便をかけられ感涙する男の絵を描いたりと普通ではない。 注目すべきは、この頃江戸に参府していたオランダの商館長の日誌に、滞在先で江戸町奉行や幕閣らの命で毒殺されたと聞いた、という聞き書きが遺されていることだ。これは近年発見された資料であり、もしこちらが単なる風説を鵜呑みにしたものでなければ、大きな こうした周辺情報を加味し、源内が知らぬ間に何者かに薬物を仕込まれ、斬殺の濡れ衣を着せられたとした大河『べらぼう』の脚本は、俳優陣の演技と相まってネットやSNS上で大きな話題となった。 仮に謀略だとすると、それは誰の指図によるものなのか。そこでクローズアップされるのが、家治の嫡男・家基の死である。(つづく)
2025.05.01
『ハラヘリヘリハラ!』 コメの高騰が続いている。 どうしても「平成コメ騒動」を思い出す。俺が高校生の時である。当時、クラスに必ずいたのは弁当の時間に「コメマウント」を取るやつだ。 「お前、タイ米か?パサパサやな~俺はブレンド米や!ツヤツヤやろ!」と、自分の弁当を見せびらかしながら教室を一周するのだ。 どう考えてもブレンド米がツヤツヤな訳はないのだが、ひどく羨ましかったのを覚えている。CMでトシちゃんが「ハラヘリヘリハラ!飯食ったか?」も懐かしい。米不足になってもまだ流れていた為、見る度に「どこにコメがあるねん!」とツッコんでいた。そしてなぜか「米米CLUB」を国産米を食べられる秘密クラブだと思っていた人もいた。 一体、令和のコメ高騰はいつまで続くのだろう。最近はパックご飯も高くなってきて「サトウのごはん」なども高級品である。 コメの価格が戻ったら、俺は炊きたてご飯に、まずは味塩をかけた「シオのごはん」を食べたいものである。
2025.04.29








