六角家を瞬殺した信長、足利義昭を15代将軍に擁立
連載•小説
2026/03/23
信長が上洛に動き出したのは美濃攻略の翌年、永禄11(1586)年だった。その道を阻もうとしたのが、近江の六角家の当主・義治とその父の義賢(後に承禎)。実権を握っていたのは義賢のほうで、前述のように室町幕府の実権を握っていた三好三人衆と通じていた。
近江を通らねば、信長は京都にはたどり着けない。六角親子は近江には幾つもの城を持っており、一見すると上洛には時間がかかりそうだった。
ところが、六角家は「観音寺騒動」と呼ばれた御家騒動の真っ最中。信長は本拠の観音寺城とその支城・箕作城だけを集中的に攻め、瞬く間にこれを撃破する。わずか数日の電撃的な進軍だった。
この迅速な侵攻は、三好家にとって想定外だった。敗退続きで支配地を失い、国人衆や幕府奉公衆も続々と織田方へ寝返った。三人衆はそれぞれの居城を落とされて逃亡した。
京都まで難なく兵を進めた信長は、義昭を第15代将軍に擁立する。都は「将軍不在・三好内紛・松永と三人衆の抗争」という三重の空白状態にあり、信長はそこに義昭という切り札を携えて割り込んだ、と言えよう。(つづく)
(西川修一)
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