連載•小説 桶狭間で勝利を呼んだ?信長周辺の次男・三男坊たち
桶狭間で勝利を呼んだ?信長周辺の次男・三男坊たち
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2026/02/16

 若い信長と気心の知れた国衆・土豪の次男三男たち。彼らが信長軍の先進性を示す「兵農分離」のはしりだった、という仮説は成り立ちそうだ。彼らが後々農業に従事しないプロの戦闘集団に育っていった、というわけだ。

 

その威力が明確に発揮されたのが永禄3(1560)5月の桶狭間の戦い、というのがこの説のキモである。

 

2日間に渡ったこの戦については、2万5000の今川軍が狭い谷あいにさしかかったところを、動きを悟られぬよう迂回してきた信長軍3000が奇襲をかけた、という古来の見方はほぼ否定され、小高い丘の上にいた義元へ正面から強襲をかけたという説が主流となりつつある。

 

大河ドラマ『豊臣兄弟!』ではこの「下から上」の攻撃が表現されていた。地形上、信長軍の行跡が今川側から丸見えだったはずだが、折からの豪雨という僥倖に恵まれ、雨が止み晴れ上がった途端、真正面に今川軍がいたという筋書きはさほど不自然には感じない。

 

それだけではなく、四六時中戦に集中し切っている信長軍の面々の「質」が、他のマイナス要因を克服したと思われる。

 

義元本人の居場所を探った斥候部隊の緻密な働き、アイコンタクトでも意思疎通が出来そうな信長周辺の人的つながり。こうした記録には残りづらい「密」な結束が、兵の数で推測するしかない後世の人々にとって信じ難い結果を生んだ。(つづく)

 

主な参考文献:本郷和人『信長の正体』文春文庫

 

(西川修一)

 

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