長曾我部元親、島津義久……戦った相手とも親しくなった秀長
連載•小説
2026/01/26
秀長と家康が親しくなる契機となったと目される藤堂高虎は、秀長の腹心。心酔する秀長と常に行動を共にし、戦場では身長190㌢近い巨躯で大活躍した猛将である。後に秀長とともに大和国(現奈良県)大和郡山の治世に携わったほか、築城の達人としても知られている。
秀長の交遊は、四国・九州遠征で激闘を繰り広げた相手、長曾我部元親と島津4兄弟の長兄、義久とも戦後は親しくなっていた。元親とは早い段階で和睦の交渉を始めた秀長との繋がりが生まれ、義久は秀長の紹介で家康との交流が始まったと伝えられている。
秀長との関係がよく知られているのが、千利休である。ともに諸大名が秀吉と面会する仲介役を務めた利休を通じて、「へうげもの」古田織部や細川忠興といった茶人の武将や連歌師の里村紹巴(じょうは)、興福寺の英俊など文化人ネットワークを拡げたという。
そのネットワークに、先の高虎や小堀正次、桑山重晴ら秀長の家臣たちが出入りすることで、その教養を吸収したようだ。ちなみに正次の息子・政一は、茶道の遠州流の開祖であり作庭・・和歌・焼き物と万能のアーティスト、小堀遠州である。(つづく)
西川修一
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