連載•小説 歌麿、治済、家斉……それぞれの「その後」
歌麿、治済、家斉……それぞれの「その後」
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2025/12/22

 蔦重の死後、歌麿は肉筆三部作『深川の雪』のような傑作も残す半面、上り坂にあった十返舎一九のヒット作『青楼絵抄年中行事』の挿絵を担当、取り分を巡って一九との間にトラブルも起こしている。

 

その年の3月、奉行所から突然の出頭命令を受けた歌麿は、そのまま獄中に3日間繋がれてきつい取り調べを受け、手鎖50日間の刑を受けた。太閤秀吉の200回忌に合わせた『太閤五妻洛東遊観之図』の図中で美女を侍らせて遊ぶ秀吉が、贅沢三昧の11代将軍・家斉を風刺したとみなされたとも言われる。

 

これは歌麿の心身に大きな打撃となった。2年後に死去し、妻(母親説あり)のおりよと同じ専光寺(当時浅草)に葬られた。

 

家斉とその父・治済のその後にも触れておく。家斉の後見であり御三卿の当主として権力を維持した治済は、家斉が儲けた26男27女の孫たちを御三家や他の御三卿らに養子として送り込みながら、1827(文政10)年に死ぬまで贅沢三昧の暮らしを続けた。

 

その子・家斉は、実は馬術と鷹狩が得意、日本史絡みの本を乱読する読書好き、三国志マニアと多才な人物だった。が、父譲りの贅沢三昧で幕府の財政を傾かせ、その命脈を縮めている。もっともその治世下で曲亭馬琴、十返舎一九、葛飾北斎らが活躍する化政文化を花開かせた。

 

退位後は大御所を名乗った家斉は、幼くして父・治済に暗殺されたと思しき徳川家基の供養を終生続けていたという。長く自分を束縛した治済との確執もうかがい知れるエピソードである。(おわり)

 

(西川修一)

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