2025/11/20
本サイトでこれまで5回にわたって紹介してきた泊誠也監督による映画『冤罪のつくりかた』。伝わるところによるとクランクアップもそう遠くないことのようだ。
一方、現状を見回すとこの映画に対する意義、期待はいやが応でも高まらざるを得ないところに来ている。というのは、目下、法制審議会(※法務大臣の諮問に応じて、民事法、刑事法その他法務に関する基本的な事項を調査審議すること等を目的とした法務省の審議会)で、再審法改正について議論されているのである。いうまでもないことだが、冤罪と再審というのはコインの表裏のようなものである。再審法はいかに冤罪をなくすかというのが究極的な目的である。冤罪をつくりだすのは世論や政治家や学者なんかじゃない、それは検察である。法制審議会では再審法改正を題目にしながら今まさに検察の在り方を議論しているのである。再審法改正の動きは袴田事件、大河原化工機事件、福井女子中学生殺人事件といった冤罪事件をきっかけとしている。こんなに冤罪が起きていることは正直、驚きだが、言い換えるとそれだけ検察という組織が持つ決定力というようなものが絶大であるということだ。検察は自ら下した判断を翻すというようなことは絶対にしない。しなかったからこそ冤罪は生まれてきたのだ。再審請求ひとつとっても請求したところで検察はあの手この手で阻んでくる。今回の再審法改正はこの検察側の再審への道を閉ざすような手持ちの〝武器〟の数々を減らすべく審議しているといっても過言ではない。冤罪を主張する側は武器のひとつも持つことはできない、いわば徒手空拳で検察という強大な壁にぶつからざるを得ない。はじめから勝負あった、というような不公平極まりないリングに上がらなくてはならないのだ。そうでなければやってもいない罪をなすりつけられたままその後の人生を、~死刑の場合は刑の執行を~、受け入れなければならないのだ。再審法改正の審議は遅すぎたということは歴然としているが、それでも今、それは始まって佳境に入っているのだ。
ところが、この審議において検察側は声高に〝武器〟はく奪の提案に反対している。具体的には、再審決定後の検察による不服申し立て撤廃への猛反対、証拠選別における独占的決定権解除に対する異議などである。せっかく再審が決定したのに検察側の不服申し立てによってやっぱり再審取り消しとなった例は枚挙にいとまがないし、証拠選別に至っては自らに有利な証拠しか採用しない、不利な証拠は処分してしまうようなことが大手を振って行えるのだ。検察は〝冤罪〟なる言葉を蛇蝎のごとく忌み嫌っているのであろう。そうでなければ審議に際してここまで反対はしないのではないか。検察は石にかじりついてでも自分達の〝武器〟は手放さないぞ、といったまるで石部金吉的頑固オヤジ状態なのだ。なんともはや…。
そこに映画『冤罪のつくりかた』である。この映画の意義と期待は計り知れない。
泊はいう。
「誰だっていつ〝冤罪〟という闇に引きずり込まれるかわからない。交通事故と同じで『自分は絶対遭うわけない』なんて思っていてはいけない。冤罪の闇について映画を観て知るきっかけにしてもらえたら僕は懸命に作った意義はあったと確信できるのです」。
早く観たい、としか言いようがない。(フリーランスライター 廣田玉紀)
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