連載•小説 幼い頃から高い観察力、とんぼやコオロギに夢中だった喜多川歌麿
幼い頃から高い観察力、とんぼやコオロギに夢中だった喜多川歌麿
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2025/09/11

蔦屋重三郎は、何も寛政の改革が始まってから浮世絵とその絵師たちに手を付けたわけではな
い。浮世絵界の重鎮・北尾重政とは依然、つながりを持ち続けていた。その重政の門弟、政演や
政美ら若い浮世絵師たちが、これまで蔦重・耕書堂が手掛けた黄表紙の挿絵を数多く担ってい
た。
政演についてはすでに触れたが、戯作者・山東京伝の別名である。1786(天明6)年に蔦重が手
掛けた最初の多色刷りによる絵入りの狂歌本『天明新鎬(しんしのぎ)五十人一首/吾妻曲狂歌
文庫』では、政演を起用した。その後しばらくは、耕書堂で出す狂歌本の挿絵はほぼ政演が手
掛けている。
しかし、政演が浮世絵から、山東京伝として黄表紙に活躍の場をシフトしていくのと歩調を合
わせるように、一人の若い絵師がのし上がってくる。それが喜多川歌麿だった。
ここで歌麿の生い立ちを追ってみる。生年は不明だが、蔦重のブレーン・北尾重政と親交のあ
った絵師・鳥山石燕の弟子だった。大河『べらぼう』劇中で、石燕一門に入門歴があって後から
入門し直した、というのはドラマ上の創作と思われる。石燕は、後に歌麿についてこう振り返
る。
「幼いころから物事を細かく観察していて、トンボに糸をつないで飛ばしたり、コオロギを手
のひらに載せて夢中になっていた。私(石燕)はその才能を余り幼いうちから欲張って追究す
るのはためにならないと思って何度も戒めたのだが、今の歌麿の筆の技は本当に芸術の徳を輝
かせている」(つづく)

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