2025/08/31
野球同好会に顔を出すのは徐々に試合のある日だけになっていった。試合にも強く、後
輩にも強い3回生の先輩たちが就職活動で忙しくなりチーム内に気の緩みが蔓延していた
からだ。2回生の先輩たちは後輩に強く指導できるような人はいない。高野さんを筆頭に
へたくそ過ぎて1回生にもへなちょこ扱いされる始末だった。唯一、藤井さんは主将でピ
ッチャーを務める中心的な役割をこなしていたが、その他の先輩たちは案山子以下の存在
と言っても言い過ぎとは思わないレベルであった。うるさい先輩がいなくなると容易に箍
が外れる俺だから興味は野球ではなく音楽や酒や女性に流されるようになっていた。
当時、西宮から引っ越して神戸市の灘区の六甲に住んでいた。阪急六甲駅から徒歩で5
分ぐらい南に下った宮前商店街の入り口にある雑居ビルの中にある〝春待ち疲れバンド″と
いう店に通うようになった。店の名前にはバンドとあるが実際には小さなバーである。そ
こで10歳以上年上の藤原さんと懇意となった。藤原さんはそのバーで、アコースティック
ギターで弾き語るスタイルのライブを毎週のように行っていた。藤原さんは内装の職人ら
しいのだが仕事よりもパチンコの方が忙しそうだった。パチンコの次は音楽である。奥さ
んもいるのだが、パチンコや音楽、酒よりもプライオリティーが下だったようだ。
藤原さんとは60年代後半から70年代前半のフォークブームの頃の歌手が好きだという俺
との共通点があった。藤原さんは大のNSPファンだったが、俺はNSPのことは良く知
らない。俺が好きなのは加川良や泉谷しげるや佐渡山豊や高田渡だった。俺は中高生の頃
に長渕剛が好きだったのだが、その長渕剛が加川良や泉谷しげるのファンだったと知って
俺も聞くようになったのだ。俺と藤原さんはフォークという括りでは音楽性は一致してい
る。そして、アコギでの弾き語りを志向するのも同じだ。いつしか、俺と藤原さんは〝大
阪ロマンボーイズ″というコンビを組んでいた。神戸に住みながら大阪ロマンボーイズはお
かしいと藤原さんに抗議したのだが、藤原さんが大阪住まいだったことから藤原さんは頑
として譲らなかった。
「藤原さん、大阪ロマンボーズっておかしいですよ、俺は神戸に住んでいるんだし」
「何がおかしいんや、神戸は大阪に含まれているんやぞ」
「んなあほな、神戸は兵庫県ですよ、俺は大阪に住んだことはないですし」
「じゃあ、解散するか?」
「解散って、まだ一度もステージに立ってないし、一曲も作ってませんよ」
「そっか、じゃあ、一曲作って一回ステージに立ってから解散しようぜ」
「えらく短命ですね」
「解散したら阪神ロマンボーイズを組めば良いんだよ」
「なるほど、そういうことですか」
そんなわけはない。だったら最初から阪神ロマンボーズでいいじゃないか。まったく理解
も同意も出来ないが藤原さんが年長者だという理由だけでその提案を承諾しておいた。
この大阪ロマンボーイズは大した活動をしていなかったのだが、某楽器メーカーが主催
する音楽コンテストに参加した。理由は簡単である。コンテストに出場する予定者はその
楽器メーカーが運営するスタジオの利用料が無料になるというので出場予定だと嘯いて無
料でスタジオを利用した。スタジオ利用時にはスタジオを利用して収録したデモテープを
提出しないといけないルールになっている。しようがないから「ブギウギトゥナイト」と
いう世にも恥ずかしい曲を適当に収録して提出して帰った。歌詞にイエイエイとかウォウ
ウォウを多用した情けない曲だ。曲先で作曲し鼻歌の延長上で作詞したのだからいい加減
この上ない。後にこの曲によって更に恥ずかしい思いをさせられることとなる。(続く、
坂本雅彦)
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