連載•小説 「急病」「大量の吐血」……徳川家基の死因を再び検証
「急病」「大量の吐血」……徳川家基の死因を再び検証
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2025/05/05

 1779(安永8)年、将軍家治の嫡男・家基が16歳で突然死去したことはすでに触れた「8代吉宗の再来」と言われた英才で、家康以来の由緒ある「家」の字をその名に冠しながら将軍の座に就けなかった歴代唯一の跡取りである

 

大河『べらぼう』の劇中では何者かが手袋に毒を仕込まれた、という筋書きだったが、公式の記録『徳川実紀』には「鷹狩に出かけ、寺で休憩中に突然発病され、急ぎ帰城した「祈祷を頼んだが、3日後に亡くなられた」とシンプルに片付けられている。

 

ところが、当時の江戸城警備の大番の日誌には、「輿に乗せたが激しく吐血され、お供の者が持っていた鼻紙をすべて使い果たした」としながら一連の経緯「いたって不適当」、つまり不可解だとされているまた家基が休憩した寺の住職の日誌残っているがそれでは鷹狩を終えて帰城した折にはまだ元気、夕方になってまた狩に出かけたことになっている。

 

長崎・出島のオランダ商館から江戸に赴いたフェイトという商館長は、到着した直後に聞いた「狩の途中で落馬し、鞍が胸に落ちた。大量の出血があり、城へ連れ戻されたが間もなく死去した」というエピソードを日誌に記している「鞍が胸に落ちた」という表現がわかりづらいが、いずれも「突然の病気」とはかなり異なる描写である。

 

日誌記述は「家治はほとんど発狂寸前に深く悲しみ、そのしみの余り老中の一人を殴ったそうだ「何人かの人は切腹し、住民は静寂を保ち、店を閉め、3日間の沈黙に入るようお触れが出された」と続いている(つづく)

 

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