2025/05/01
江戸期の天才・平賀源内は1779(安永8)年、伝馬町(現小伝馬町)の牢屋敷で病死したとされる。ただ、その直前の行動に奇怪な点が多々見受けられたという。
入獄の直接の原因は、酔ったあげく門人の1人で大工の秋田屋九五郎を斬殺したことだった。九五郎が請け負った仕事の見積もりについて源内と九五郎、注文主の大名の用人の3人が相談ついでに明け方まで飲んで酔いつぶれたのだが、目を覚ました源内が、手元に置いたはずのとある重要な図面が見当たらぬことに気付く。
九五郎が盗んだと考えた源内は、口論の末に九五郎に斬り付け、間に入った用人にも怪我をさせた……というのが事のてん末である。図面は酔いがさめた源内が枕元の手箱の中にあったのを確認している。そのまま牢屋敷に連行され、1か月後に病死した。
その死因については様々な説がある。後悔の念から絶食した、破傷風にやられた、等々。意次のはからいで密かに生き延びたとの説もある。奇妙なのは、事件直前の源内の言動だ。自分を差し置いて戯作をヒットさせた弟子を罵倒したり、人に乞われて頭から小便をかけられ感涙する男の絵を描いたりと普通ではない。
注目すべきは、この頃江戸に参府していたオランダの商館長の日誌に、滞在先で江戸町奉行や幕閣らの命で毒殺されたと聞いた、という聞き書きが遺されていることだ。これは近年発見された資料であり、もしこちらが単なる風説を鵜呑みにしたものでなければ、大きな
こうした周辺情報を加味し、源内が知らぬ間に何者かに薬物を仕込まれ、斬殺の濡れ衣を着せられたとした大河『べらぼう』の脚本は、俳優陣の演技と相まってネットやSNS上で大きな話題となった。
仮に謀略だとすると、それは誰の指図によるものなのか。そこでクローズアップされるのが、家治の嫡男・家基の死である。(つづく)
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