嫡男・萬福丸の過酷な運命とその菩提寺を建てた人物
連載•小説
2026/05/11
小谷城落城時、浅井長政の嫡男・萬福丸は10歳。実の母親はお市ではなく長政の側室とされている。落城前夜、家臣の木村喜内之介に預けられて城を脱出。越前国敦賀郡の民家に身を隠した。が、密告により居場所はあえなく露見したという。
実の妹を娶った義理の弟でありながら信長を裏切り、ギリギリまで追い込んだ長政だけに、その嫡男に与えられた運命は過酷だった。秀吉に命じて捕らえた萬福丸は、近江国木之本の宿場に連行され、同地で磔(串刺し)の刑に処された。
残酷な見せしめは、それだけではなかった。年が明けた天正2年(1574年)正月、信長は長政・久政・朝倉義景の首を薄濃(漆塗り金箔加工)で飾り、宴席で家臣に披露したことが、『信長公記』に記されている。
このとき、信長は長政の頭蓋骨を盃に加工し、そこにつがれた酒を飲み干したというエピソードがよく知られているが、『信長公記』にその記述はない。江戸時代に記された書物の創作と思われる。
長政の次男、三男は辛くも生き延びている。次男・万寿丸は「正芸」という名の僧侶に。三男の井頼は後に秀吉の甥・秀保に仕えたという。
ずっと後の文禄3(1594)年、生き延びた三姉妹の長女・茶々――秀吉の側室・淀殿は長政、久政、万福丸ら浅井一族の菩提を弔うため、秀吉に頼んで養源院を建立した。現在の京都・東山の三十三間堂の向かいである。(つづく)
西川修一
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