連載•小説 秀吉が決戦の場・賤ヶ岳を離れた理由
秀吉が決戦の場・賤ヶ岳を離れた理由
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2026/08/20

 柴田勝家は越前北ノ庄を本拠とするが、冬季は雪深い北国ゆえに軍を動かせぬという地理的制約を抱えていた。秀吉はこの冬の間隙を突き、勝家方に与する信孝の岐阜城を攻めて一時的に屈服させるなど、着々と主導権を固めていく。

 

年が明けて天正11(1583)年、雪解けを待ちかねた勝家は、甥にあたる佐久間盛政、柴田勝豊(のち病没)、前田利家らを率いて越前から近江へ進軍し、柳ケ瀬から賤ヶ岳にかけての山塊に布陣した。これに対し秀吉方も余呉湖畔から賤ヶ岳一帯にかけ、大岩山・岩崎山・田上山など複数の砦を築き、両軍は互いに動かぬまま対陣を続ける膠着状態に入った。

 

ちょうどこの頃、伊勢では滝川一益が勝家に呼応して兵を挙げたため、秀吉は自ら大軍を率いて伊勢方面の鎮圧に向かわねばならなくなる。秀吉は近江の最前線を離れるにあたり、秀長をはじめとする諸将にこの方面の守備を委ね、自身は東へと転じた。両雄の対陣は、この秀吉不在という一点を境に、思わぬ急展開を迎えることになる。(つづく)

 

西川修一

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