本能寺の変の真因?光秀と長宗我部元親の蜜月
連載•小説
2026/07/06
本能寺の変の真因については諸説あるが、その一つに、明智光秀を介した織田信長と土佐の戦国大名・長宗我部元親との関係悪化が挙げられる。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟』もこの説を採用、後に主人公・秀長が秀吉から四国討伐の総大将に任ぜられ、元親と対峙することも視野に入れているようだ。
元親は光秀の重臣・斎藤利三の縁戚にあたる石谷氏を通じて光秀と結びつき、光秀を取次役として信長への従属を進めていた。天正3(1575)年頃、元親は信長へ誼(よしみ)を通じ、信長も当初は元親による四国切り取り次第、すなわち実力で切り取った領地の領有をそのまま承認する方針を取っており、両者の関係は良好であった。
元親はこれを背景に土佐一国の統一を進め、さらに阿波・讃岐・伊予へと勢力を広げていく。
ところが天正8(1580)年頃から信長は方針を転換する。畿内をほぼ平定した信長にとって、四国は新たな征服対象として浮上し、かつて京から追放していた阿波の三好一族、なかでも三好康長を厚遇して四国攻略の先兵として起用し始めたのである。
これにより、長年にわたり元親との取次役を務め、両者の橋渡し役として面目を保ってきた光秀の立場は、次第に微妙なものへと変わっていく。
信長は元親に対し、一転して土佐と阿波南部のみの領有を認めるという一方的な譲歩を迫る。(つづく)
西川修一
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