官兵衛が実行した鳥取城の兵糧攻め
連載•小説
2026/06/22
天正9(1581)年、羽柴秀吉は中国攻めの一環として因幡に出兵し、毛利方の拠点・鳥取城に狙いを定めた。城主は毛利本家から急遽派遣された吉川(よしかわ)常家。本格的な侵攻に先立って動いたのが、荒木村重による拘束から辛くも解放された黒田官兵衛だった。
秀吉軍の主力が因幡入りする以前から、官兵衛は近隣諸国の米を相場の数倍という高値で買い占めさせ、城下および周辺一帯における米の流通そのものを枯渇させていたのだ。それゆえ吉川経家が籠城に際して期待した兵糧の確保は、入城前の段階で事実上不可能となっていた。
経家は毛利家の血筋ではなく石見吉川氏の将だが、入城時点で城内の兵糧蓄積はすでに乏しかったとされている。一方、毛利本家はこの時期、織田方との備中・伯耆方面での対峙に主力を割かれており、鳥取へ十分な後方支援を回す余裕がなかった。
官兵衛の経済戦は、力攻めによる損耗を避けつつ敵の兵站基盤そのものを崩す狙いに加え、毛利氏の支援体制が分散している現状を見抜いた上での一手であったと言える。これによって、籠城開始からわずかの期間で城内の食糧事情は急速に悪化し、後世まで語られる凄惨な籠城戦の遠因となったのである。(つづく)
西川修一
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