但馬から大和郡山へ…秀長の実務的・堅実な統治
連載•小説
2026/06/15
秀長の但馬治政で培われた「実務的・堅実な統治ノウハウ」は、後に豊臣政権で任された大和郡山でも継承・発展されている。
但馬では生野銀山を確保し、財源を自らの手でコントロール。大和では寺社勢力の領地を強引に奪うのではなく、検地という「文書で支配を示す」近世的な統治によって8割を直轄地にし、その代わりに残り2割を安堵する手法で財源を掌握した。
また、但馬では円山川の漁民に免許状を与えて漁の権利を保障し、敵対勢力は追放した。大和でも商人に独占権と自治権を保証し、同様に反抗勢力を追放している。この「旨みと罰」という二刀流が、後々秀長の統治哲学の核心となった。
城を「支配の司令室」に据え、軍事・行政・財政を一体で運用する手法も、但馬から大和へ受け継がれた。生野銀山で財源を確保し、竹田城を拠点に国衆を統制した但馬での経験が、大和の寺社整理・城下町づくり・商業集中政策に応用されたのである。
秀長は統治が難しい地域を任された際、「対立勢力をまとめ、地域の慣習に寄り添いながら変革を起こす」という手法を、但馬から大和へ一貫して使い続けた。派手な建城や軍勢の誇示ではなく、経済面のコントロールと生活の安定保障によって地域を従わせる。但馬で培ったこの堅実な統治哲学が、百万石を治める大大名としての秀長の基盤となった。(つづく)
西川修一
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