連載•小説 秀長が秀吉の代理で一向一揆「虐殺」の第一線へ
秀長が秀吉の代理で一向一揆「虐殺」の第一線へ
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2026/05/14

 「信長包囲網」の一角でもあった長島一向一揆。石山本願寺・顕如の号令で伊勢長島(現三重県桑名市)の浄土真宗(本願寺派)の門徒たちが起こし、3回に渡って信長と激しい戦いを繰り広げた。

 

その3度目の長島攻めが、武将としての羽柴秀長のデビュー戦となった。

 

数万に及ぶ信徒の最初の蜂起が、信長が浅井・朝倉と対峙していた元亀元(1570)年11月。古くから信長とともに従軍し信頼も厚かった実弟(父・信秀の七男)・伸興の小木江城(現愛知県愛妻市)を包囲した。

 

援軍のない中で信興は孤軍奮闘したが、小木江城は6日目に落城。信興は自害した。80人余りの家臣も殉死したという。続いて桑名城を拠点とする滝川一益も一敗地にまみれてしまった。

 

これが信長の猛烈な怒りを呼んだ。以降、信長は3度にわたって大規模な侵攻を繰り返すことになる。

 

第一次侵攻は翌元亀2(1571)年5月。5万の大軍を率いて伊勢に乗り込んだが、一揆側の巧妙な戦運びに苦戦を強いられ、殿の柴田勝家が負傷。氏家卜全らが討死する。

 

翌天正元(1572)年、浅井・朝倉を潰した後の9月に数万の信長軍が北伊勢を侵攻。一揆軍のこもる城を次々と落とすが、伊勢湾の海路を経由する一揆軍の兵站を断つことが難しく、長嶋への直接攻撃は断念せざるを得なくなった。

 

そして天正3(1574)年6月、信長の大号令で長島攻めに7~8万人という異例の大軍を召集する。その中に、秀吉の代理として秀長も名を連ねていた。(つづく)

 

西川修一

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