連載•小説 信長は一気に「包囲網」を崩し、義昭を京から追放する
信長は一気に「包囲網」を崩し、義昭を京から追放する
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2026/05/04

 ここからの信長は、まさに一気呵成という表現がピッタリの攻勢に出る。

 

武田信玄の死去からわずか数カ月の天正元(1573)年7月、信長は槇島城(現京都府宇治市)で3700の兵とともに再度挙兵した足利義昭と対峙する。この時に備えて全長30間×幅7間(約54m×約12m)という巨大な船を建造、琵琶湖を渡って京に入り、二条城を開城させる。

 

そして信長は、7万もの軍勢を率いて槇島城を包囲し攻撃。到底敵わぬことを悟った義昭は講和を申し入れ、信長の眼前で敗軍の将として引き据えられた。

 

信長は義昭が定めたばかりの年号「元亀」を「天正」に換えることを朝廷に進言。これを朝廷が受け入れたことで、義昭の権威は否定された。義昭は京の都から追放され、室町幕府は名実ともに滅亡したことになった。

 

翌8月、信長は3万の軍勢を率いて岐阜から近江に向かう。義弟・浅井長政の拠点である。長政は5000の軍勢とともに小谷城に立てこもり、それを朝倉義景の2万の軍が後詰めしてバックアップ。しかし陣営内の意思統一も不徹底、しかも調略によって内部から切り崩された浅井・朝倉両軍は戦う前から崩壊しつつあった。

 

近江一帯を暴風雨が襲った10日、信長は1000の手勢を割いて義景軍の大嶽砦を奇襲した。(つづく)

 

西川修一

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