市の婿・浅井長政が信長を裏切った本当の理由
連載•小説
2026/04/02
既成勢力の信長への反発は当然だった。義昭の周辺にいた反信長派の武将・公家・寺社勢力が、信長の言動を「無礼」「専制」などと吹き込み、義昭の対抗心を煽ったのだ。義昭は「信長を利用して幕府を立て直す」という協調路線から、「信長を抑え込む/排除することで将軍権威を回復する」という対決路線へと傾いていく。
信長が朝倉義景の討伐に向かったのは、敵対関係に至るより少し前の元亀元(1570)年。義昭からの度重なる上洛の命に従わなかったことを口実に、信長は総勢3万を動員して近江を通って越前へと進軍。圧倒的な兵力差と降伏勧告を受けて金ヶ崎城を明け渡した。
ところがここで、妹・お市の嫁ぎ先だった浅井(あざい)長政が突如として信長を裏切る。北近江から北上した浅井軍が、織田軍を背後から急襲したのだ。
長政の裏切りの理由については、「信長と同盟を結んだ時に朝倉不侵攻という密約があったが、それを信長が破った」という俗説はほぼ否定されている。浅井陣営は国衆の連合体であり、長政が家臣団の総意(親朝倉派の海北・赤尾ら)に押し切られたという説が有力視されている。
お市が急変を知らせる小豆袋を信長に送ったというエピソードも、残っているのは朝倉家の記録のみで、史実としては疑わしいようだ。
長政の裏切りを聞いても、信長は容易に信じなかったという。(つづく)
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