連載•小説 最後の抵抗勢力、家康・信雄「秀吉包囲網」
最後の抵抗勢力、家康・信雄「秀吉包囲網」
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2026/09/03

 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った秀吉は、名実ともに織田家臣団の筆頭へと躍り出た。一方、織田家の名目上の主君として担がれていたのが、信長の次男・織田信雄である。秀吉の勢力が急速に拡大するにつれ、両者の関係は険悪になっていった。

 

天正11(1583)年、信雄は安土城を退去させられ、秀吉との対立は決定的となる。

 

秀吉は織田家中の切り崩しにも動いた。信雄の家老・津川義冬、岡田重孝、浅井長時の3人が秀吉方に取り込まれたとみた信雄は、亡父・信長以来の盟友である徳川家康との連携に活路を求める。

 

秀吉への対抗勢力の核となりうるのは、この時点でもはや家康しか残っていない。家康は北条氏政・氏直、北陸の佐々成正、四国の長曾我部元親、紀州の雑賀衆・根来衆、さらには高野山にも声をかけて、「秀吉包囲網」を形成しつつあった。

 

天正12(1584)年3月6日、信雄は3家老を長島城に呼び出し、その場で誅殺した。秀吉との決別を明確にし、家康へ救援を求めたのである。秀吉にとっても、もはや看過できなかった。信雄討伐を決断し、家康も三河から尾張へ兵を進める。織田家の主導権をめぐる争いは、秀吉と家康という二人の天下取りを懸けた戦いへと姿を変えた。こうして、小牧・長久手の戦いの幕が開く。(つづく)

 

西川修一

 

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