2026/06/16
中国の習近平国家主席が1泊2日の北朝鮮訪問を終え、6月9日に帰国した。平壌国際空港への到着から帰国までの滞在期間中、金正恩総書記は7年前(2019年6月)の訪朝時と同様、習氏を付きっきりでもてなした。
中国の最高指導者の訪朝は、金正日総書記時代(94年7月~11年12月)を含めてもわずか3度しかない。一方、北朝鮮からは正日氏が7度も中国を訪問しており、正恩氏もすでに5度訪中している。
しかし正恩氏の初訪中は18年3月であり、父・正日氏の死去後、7年間にわたって訪中しなかった。習氏も前任者の胡錦涛主席の訪朝から14年間にわたって北朝鮮を訪れていない。両国に亀裂が走った理由は、第1回核実験(06年)以降、北朝鮮が核開発を進めたことに中国が強く反発し、北朝鮮の不倶戴天の敵である米国と歩調を合わせて国連制裁に加わったからだ。
習主席は、今回の訪朝で中朝関係の発展のために4つの提案をした。詳細は省くが、そのなかの1つに≪最高指導者による戦略的指導(個人独裁)が中朝関係の最大の強み≫と提言している。完全に正恩独裁体制へのヨイショだ。
習氏が共産党政治を集団指導体制から個人独裁路線に本格的に転換し始めたのは初訪朝以降で、これは金正恩独裁の成功を目の当たりにして、個人独裁の野望に目覚めたからだという説がある。
その証拠が膨麗媛(ポン・リーユアン)夫人の訪朝帯同である。中国人民解放軍の歌手でもある膨夫人は芸能界のボスが失脚した以後、めったに公の場に顔を出さず、晴れ舞台であるはずの米トランプ訪中でもまったく姿をみせなかった。
夫人グループの庇護者で山東省閥のドンでもあった馬興瑞(政治教員)が粛清されたうえ、習ファミリーの護衛隊長の王小洪(公安部長)の動静が不明となっている影響だとささやかれていた。
夫人は習氏の三歩後ろを歩いていた。西側諸国への訪問では2人は手を組んで並び歩く。今回は男尊女卑の北朝鮮のマナーを尊重した証だ。(梛野順三)
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